刀の先に見えるもの。
今回の自動車合宿免許先に備前エリアを選んだのは【なんとなく】の好奇心でした。
どうせ行くなら面白いものが見れる所が良い、と。
そして合宿期間中に訪れた タタラ場と刀 に関する簡易レポをば。
今回の自動車合宿免許先に備前エリアを選んだのは【なんとなく】の好奇心でした。
どうせ行くなら面白いものが見れる所が良い、と。
そして合宿期間中に訪れた タタラ場と刀 に関する簡易レポをば。
工房に土曜日にお邪魔したんですが、お客さんが自分のみだった為、刀匠が付きっきりでガイドしてくれました。
そこで見聞きした日本刀を作る行程なんかをざっと書いてきますが、雑なので詳しくはggrよろ。
備前長船…、ここに日本のタタラ場が集まる意味、それは資源が近いから。
日本で砂鉄の大産地といえば、山陰島根か、ここ山陽岡山。
産地でも山の土砂の砂鉄含有量は2%未満なのだとか。

(写真参照、ここの刀匠は日本各地の砂鉄を採取し独力研究しているそうです

砂鉄50kg=刀が1振に必要な量。(写真参照、これが1振分の砂鉄
よって、
砂鉄50kg=産地の土砂5t程度が必要。
…これだけでも「鉄」というものの希少性が伺えます。
(ちなみにこの状態は、外国から鉄資源を輸入しだした昭和頃まで続いていた
刀の元の鋼(はがね)にするには、これを溶かして砂鉄内から不純物を取り除き、純度を上げていく。
不純物が多ければ硬度が保てないから。鋼の状態で刀のすべてが決まる。
酸素が残れば、錆びる鉄に。
不純物が残れば、脆い鉄に。
炭素分を残せば、硬い鉄に。
炭素分を減らせば、柔らかい鉄に。

(写真参照、これが玉鋼の状態
(ぶっちゃけこれ、刀匠の技術の塊らしく、国の研究者が調べたがってるけど刀匠が死ぬまで門外不出の品
鋼が出来たら、板状にして→叩いて伸ばしてミルフィーユ状にし、(層が重なっている方が折れにくい)鉄板を作る。
2種の鉄板を作り、柔らかい鉄を芯に、硬い鉄を側にセットし(芯が柔らかければ構造上折れにくい)、
刀の原型は出来上がり。



あとは型を成形し、刃の側だけを焼入れ(水に浸ける)し、更に硬くする。
(焼入れすれば硬くはなるが、ねばりがなくなる、よって刃の側のみ
@まめ知識
水を浸けた部分に波模様が付く。(刀の波々模様なアレです)
戦国期に作られた刀は実用重視でこの波部分が少ない、(幅5mmなのもある)
江戸期に作られた刀は飾り用で波部分を美しく見せたり、幅を大きくとっている(幅25〜30mmぐらい)
=刀を見ただけで実戦用なのか、飾り用なのか、分かるんだお( ^ω^)

現代の鉄
=英・豪から鉄鉱石やコークスを輸入、超高温で溶かすので不純物が残りやすい、型に流して成形する
=廉価で普及しやすいが、鋼より脆い
昭和期までの日本の鉄
=国産砂鉄が材料、炭を使い低温で溶かす為、不純物が取り除きやすい、叩いて伸ばして成形する
=高価だがめちゃくちゃ硬く、恒久性がある
@まめ知識
炭には油分の多い松が良い(火力がある)
製法は以上。
ここで感じたのは昔の「鉄」というものの「希少性」。すごく高級品。
加えて、きちんと不純物を取り除いた「鉄」というものは、錆びず、時間を越えていく力があるのだとか。
それに良い鋼の刀は 硬い→先端の鋭角を保つ→切れ味が落ちない→ほとんど研ぎ減らない らしい。
武士にとって刀というのは武器であり仕事道具であり、欲されるは、
頑強さ(折れない)・切れ味・長持ちさ。
どうして 名刀がもてはやされるのか少し分かりました。
その純度、頑強さゆえ、人間の寿命を飛び越えて生き(働き)続けるのな、彼らは。

それを踏まえてタタラ場をお邪魔した後、備前長船刀剣博物館に行き、
ずらりと並び、展示されていた刀を見た時、鳥肌が立ちました。
刀はその純度、硬さ故、長生きだ。
鎌倉時代作の刀も、手入れをすれば現代でも充分、作られた当時の能力のまま刀として働く。
この博物館に並んでいる制作時代ばらばらな刀達は、どれほどの手を渡り、使われてきたんだろう。
どれほどの人を斬ってきたのだろう。
戦場は、山だったのか、海辺だったのか、はてまた殿上だったのか。
使い手側の人間は、いったいどんな思いだったのだろうか。
夢だったのか、希望だったのか、野心だったのか。
刀がぐるりと展示された部屋で、刀達に寄せられてきた幾世もの使い手達の想いの記憶量を鑑みただけで
倒れそうになりました。
そうそう、戦後、没収された刀は今でも政府が管理しているそうですね。
その中には凄い経歴をたどってきた子(刀)もきっと、いるんだろなぁ…。
最後に面白いな、と思ったのが、砂鉄の話。
山陰・島根の砂鉄は、粒子が均一で、上等な砂鉄。
一方、山陽・岡山の砂鉄は粒子が不揃いで、砂鉄としては二級品。
しかし、使ってよい刀ができるのは、…岡山の砂鉄の方。
理由は不揃い故に打った時、大小の粒子がぴたっとハマり、より強度を増すのだとか。
一流品で固めるのが強いとは限らない。興味深い話だなぁと思いました。
そこで見聞きした日本刀を作る行程なんかをざっと書いてきますが、雑なので詳しくはggrよろ。
備前長船…、ここに日本のタタラ場が集まる意味、それは資源が近いから。
日本で砂鉄の大産地といえば、山陰島根か、ここ山陽岡山。
産地でも山の土砂の砂鉄含有量は2%未満なのだとか。
(写真参照、ここの刀匠は日本各地の砂鉄を採取し独力研究しているそうです
砂鉄50kg=刀が1振に必要な量。(写真参照、これが1振分の砂鉄
よって、
砂鉄50kg=産地の土砂5t程度が必要。
…これだけでも「鉄」というものの希少性が伺えます。
(ちなみにこの状態は、外国から鉄資源を輸入しだした昭和頃まで続いていた
刀の元の鋼(はがね)にするには、これを溶かして砂鉄内から不純物を取り除き、純度を上げていく。
不純物が多ければ硬度が保てないから。鋼の状態で刀のすべてが決まる。
酸素が残れば、錆びる鉄に。
不純物が残れば、脆い鉄に。
炭素分を残せば、硬い鉄に。
炭素分を減らせば、柔らかい鉄に。
(写真参照、これが玉鋼の状態
(ぶっちゃけこれ、刀匠の技術の塊らしく、国の研究者が調べたがってるけど刀匠が死ぬまで門外不出の品
鋼が出来たら、板状にして→叩いて伸ばしてミルフィーユ状にし、(層が重なっている方が折れにくい)鉄板を作る。
2種の鉄板を作り、柔らかい鉄を芯に、硬い鉄を側にセットし(芯が柔らかければ構造上折れにくい)、
刀の原型は出来上がり。
あとは型を成形し、刃の側だけを焼入れ(水に浸ける)し、更に硬くする。
(焼入れすれば硬くはなるが、ねばりがなくなる、よって刃の側のみ
@まめ知識
水を浸けた部分に波模様が付く。(刀の波々模様なアレです)
戦国期に作られた刀は実用重視でこの波部分が少ない、(幅5mmなのもある)
江戸期に作られた刀は飾り用で波部分を美しく見せたり、幅を大きくとっている(幅25〜30mmぐらい)
=刀を見ただけで実戦用なのか、飾り用なのか、分かるんだお( ^ω^)
現代の鉄
=英・豪から鉄鉱石やコークスを輸入、超高温で溶かすので不純物が残りやすい、型に流して成形する
=廉価で普及しやすいが、鋼より脆い
昭和期までの日本の鉄
=国産砂鉄が材料、炭を使い低温で溶かす為、不純物が取り除きやすい、叩いて伸ばして成形する
=高価だがめちゃくちゃ硬く、恒久性がある
@まめ知識
炭には油分の多い松が良い(火力がある)
製法は以上。
ここで感じたのは昔の「鉄」というものの「希少性」。すごく高級品。
加えて、きちんと不純物を取り除いた「鉄」というものは、錆びず、時間を越えていく力があるのだとか。
それに良い鋼の刀は 硬い→先端の鋭角を保つ→切れ味が落ちない→ほとんど研ぎ減らない らしい。
武士にとって刀というのは武器であり仕事道具であり、欲されるは、
頑強さ(折れない)・切れ味・長持ちさ。
どうして 名刀がもてはやされるのか少し分かりました。
その純度、頑強さゆえ、人間の寿命を飛び越えて生き(働き)続けるのな、彼らは。
それを踏まえてタタラ場をお邪魔した後、備前長船刀剣博物館に行き、
ずらりと並び、展示されていた刀を見た時、鳥肌が立ちました。
刀はその純度、硬さ故、長生きだ。
鎌倉時代作の刀も、手入れをすれば現代でも充分、作られた当時の能力のまま刀として働く。
この博物館に並んでいる制作時代ばらばらな刀達は、どれほどの手を渡り、使われてきたんだろう。
どれほどの人を斬ってきたのだろう。
戦場は、山だったのか、海辺だったのか、はてまた殿上だったのか。
使い手側の人間は、いったいどんな思いだったのだろうか。
夢だったのか、希望だったのか、野心だったのか。
刀がぐるりと展示された部屋で、刀達に寄せられてきた幾世もの使い手達の想いの記憶量を鑑みただけで
倒れそうになりました。
そうそう、戦後、没収された刀は今でも政府が管理しているそうですね。
その中には凄い経歴をたどってきた子(刀)もきっと、いるんだろなぁ…。
最後に面白いな、と思ったのが、砂鉄の話。
山陰・島根の砂鉄は、粒子が均一で、上等な砂鉄。
一方、山陽・岡山の砂鉄は粒子が不揃いで、砂鉄としては二級品。
しかし、使ってよい刀ができるのは、…岡山の砂鉄の方。
理由は不揃い故に打った時、大小の粒子がぴたっとハマり、より強度を増すのだとか。
一流品で固めるのが強いとは限らない。興味深い話だなぁと思いました。
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