旅行:2009.12.02 東京旅行記2
10時過ぎ、市ヶ谷駅に到着。
麻布十番駅→市ヶ谷駅
地図で確認すると、どうやらこの川を挟んで向こう側に靖国神社があるようで。

川沿いを歩き、向こうへ渡れる橋を探す。
橋を発見し向かう最中、その橋の麓を見ると、…えっ、釣り堀??
のんびり糸を垂れる釣り人の風景が。(地図星部分


東京へ来るまでは近未来メガロポリスのような、整備された街が続いているのだろうと思っていたんですが、
過去数回の旅行で各所を見て回って、東京とはパッチワークみたいだと思いました。
超美麗建物の近くに、急に整備されていない昭和40年代の通路がでてきたり、
綺麗な街路に、突如ボロボロな高架下が現れたり、
狭い住宅地を横目に、神宮、皇居などのだだっ広い自然が広がったり、
近未来の景色と、現代の景色と、昭和の古い景色と、都会の景色と、田舎の景色と、
なんかもうひっくるめている、というか。
あと大学などが都心部にあることが驚きでした。郊外じゃないんだ…。
東京は内包する人の量が凄く多い、それはひしひしと感じました。
人が多いからこそサービス産業に向いているし、それに伴う雇用も多いのも納得。
田舎への旅行もちょろちょろ行きましたが、田舎の都会様式のトレースも変だなぁと。
中途半端な真似で田舎のハイブリット都市化はどーなんだろうなぁ。(゚〜゚)
田舎独自の近未来進化形ってどんな形なんなんですかね?
あとネット技術で、今までとは違ったベースのものがなにか出てきそうななななな…。
そう思うとネットって凄いなぁ、と。(ネット人口が急激に増えたのが04-05辺り?
今まで巨大資本が独占してきた「発信する」という技術を一般人が使える様になったので、
ニコなり、ヘタリアなり、流行の変遷が変わってきているとも感じますし、
それこそ今生きてるこの時代こそが、戦国や幕末を生きた人が感じた様な「変わり目」の様な気もするんですがね。
如何様にも変えられるグニャグニャ感というか、濁流というか。
西洋文化が急に流入しつつある空気感、戦争時代に入っていこうとする空気感、
高度経済成長期に入っていこうとする空気感、バブルに突入しようとする空気感、
そういう空気感ってどんなのだろう。
異様・特殊なのか、普通の延長なのか、突然突風が吹くのか…。
歴史も好きなんですが、今を感じるための物差しとして歴史が好きです♪ ゜+。:.゜(*´∀`)゜.:。+゜
(だから美化や改竄されてると物差しとして使えなくなるので、現実は汚くても正しい流れが知りたい
…と、話をぶった切りまして、
川を渡った先のドトールで休憩。コーヒーブレイク。
体調は戻ったので、コーヒーを解禁しております。コーヒーうまうまv (*´∀`人)

足を休め、レポを追記したら、いざ靖国神社へ出発!
靖国通りをまっすぐです。これは便利。南門より参る!


入ってすぐにあった、幕末志士ゆかりの練兵館跡碑。


幕末志士ゆかりの練兵館跡
この練兵館は、神道無念流の剣客 斉藤弥九郎により、それまで俎橋付近にあった練兵館が天保9年(1838年)の火事で類焼したため、この地に再建され、その後約30年間隆盛を誇った。
練兵館には、高杉晋作、桂小五郎(木戸孝允)、品川弥二郎など幕末の志士が多数入門し、特に桂小五郎は剣の腕前も優れ、師範代もつとめている。また、伊藤俊輔(伊藤博文)も出入りしていたといわれる。
なお、この練兵館は千葉周作(北辰一刀流)の玄武館、桃井春蔵(鏡新明智流)の士学館とともに、幕末三道場といわれている。
そして参道を進むと、

靖国神社、到着。

これがかの有名な靖国神社か… ( ゚д゚) と思いつつ、それ以上もなく。
神社…だねぇ。うん。
個人でどーでもいいことですが、おみくじを引いて大吉!



正面門からでると、眼前に広がるのは素晴らしい銀杏並木!!(見た瞬間鳥肌が!
まず銀杏の1本1本の大きさが並ではない。超ド級! まさに巨神兵が居並ぶがごとし!
しかもそれが向こう側まで続き、陽の光を浴びて黄金色。
今まで見てきた中でNo1の銀杏並木だ!

銀杏並木の中央には大村益次郎(近代日本陸軍の創設者)の銅像があるのですが…。
おや? 銅像の様子が…
… 頭のてっぺんに白鳩が居るぅぅ `;:゙;`;・(゚ε゚ )ブッ!!
他の土鳩は足下に居るのに、白いの…お前……w
銅像の表側に到着した頃には、白鳩は肩に乗ってました。(・∀・)ニヤニヤ


銀杏並木の出口までくれば、道路を挟んですぐ北の丸公園です。
公園の中には武道館もあります。



ここでまた休憩。休憩はこまめにとるよ!
公園内のベンチで昼食代わりに買ったベーグルをもぐもぐもぐもぐ…。

半分食べたとこでまたガサガサしまい、公園内の紅葉を見に行く。
今年は東京で紅葉を楽しむなんて思っても見なかったよ!
ここのモミジも色づいて綺麗〜。

紅葉の景色を楽しんだ後は道沿いに進んで、公園出口へ。
この道路を渡ると皇居と江戸城跡地です。(写真に写ってるのは乾門、一般人は入れません

江戸城跡は西は皇居として利用され立ち入り不可、東の皇居東御苑は見学できます。
休園日もあるので宮内庁HPを要チェック。見学は無料です。
入り口は大手門・平川門・北桔橋門の3カ所あって、そこで入園票を貰い、退園する時に返却。
パインは北桔橋門よりいざ入城!!(写真は北桔橋門より乾堀に向かってます

これからの進路

北桔橋門より入ってすぐにあったのは天守跡。

天守台
最初の天守閣は、1607年、二代将軍秀忠の代に完成しましたが、その後大修築され、1638年、三代将軍家光の代に、江戸幕府の権威を象徴する国内で最 も大きな天守閣が完成しました。外観5層、内部6層で、地上からの高さは58メートルありました。しかし、わずか19年後の1657年、明暦の大火(振り 袖火事)で、飛び火により全焼し、以後は再建されませんでした。
江戸城ってお城(天守閣)ないんだね。
あるもんとばかり思ってた…。
足痛くなってきたなーと思ったんですが、やっぱり登ってみました。

天守跡の端に立って敷地が写る様に撮ったのですが、…これが意外と狭い。

下から見上げてみれば、こんな感じ。

詳しくはよく分からないのですが、wikiさんを見ると、
天守は戦国時代は最終防衛拠点…つまり玉座ってことで迎賓館の役割もあった、しかし江戸期には衰退していき物置代わりとなっていった、
一方、本丸は城主が日常生活や政をする場所で戦時には最終防衛線になる、
…そうです。はい。
んで、江戸城の天守跡と本丸跡がこれ。↓

本丸は広いっちゃ広いんだけど、軍事国家のトップが住む場所にしてはそんなに広くないかな…とか。
イメージではこの3倍ぐらい余裕ですw…と思ってた。
跡地もみて、芝生で座り込んで少し休んだので、(この芝生いいなぁ〜
出口に向かって進んでいきます。
大番所(警備の偉いさんが詰めてるところ

「番所」とは、警備の詰所のことで、百人番所、同心番所とこの大番所の3つが残っています。中之門の側に設けられ、他の番所よりも位の高い与力・同心によって警備されていました。前の坂を上ったところが本丸の入口で、中雀門がありました。
百人番所(鉄砲使い100人が詰めてた所、ちょっとムサくない?w 平和期にはやっぱ形骸化してたのかな?


本丸と二の丸へ通じる要所である大手三之門の前に設けられた番所です。鉄砲百人組と呼ばれた、甲賀組、伊賀組、根来組、二十五騎組の4組が昼夜交代で詰めていました。各組には同心が100人ずつ配属されていました。
同心番所(3つの番所の中では一番格下、この前を大名達が通ったのだな


「番所」とは、警備の詰所のことで、百人番所、大番所とこの同心番所の3つが残っています。城の奥の番所ほど、位の上の役人が詰めていました。ここには同心が詰め、主として、登城する大名の供の監視に当っていました。
江戸城跡の石垣をみて、もの凄い石が垂直で、しかも表面ツルペタだったので驚いた!
どうしてこんなにも岩がツルペタ??

それでは警備さんに札も返したし、大手門より出て駅に向かいます。


次は千駄木のパン屋へ向かいます。大手町駅から乗換なしでいけるんだな♪
大手町駅→千駄木駅
12時過ぎ、千駄木駅に到着。
ここは団子坂ををまっすぐ西へ、一本道だから…迷わないよね?

「団子坂」っていうのは名前通り、やっぱり坂でした。
メインストリート一本道をまっすぐ来て、もうそろそろじゃね?と思うんですが、それっぽいお店がない…。
地図ではメインstの十字路を少し中に入る感じで書いてあるし、どっかで曲がるのかな?
と立ち止まって考え込んでいると、鼻先にシナモン系の良い匂いが流れてくる。
…。
横を見ると、植木の向こうにブラインドの隙間から並べてあるパンを発見。
っていうか立ち止まって考えてた場所がお店前だった …。
こじゃれた民家かと思ってたよ…。
パリットフワット
色んな意味で特徴的なパン屋さん。一回食べてみたかったのだ♪


お店に入ったのが12時半頃だったので、いろんなパンがいっぱい並んでいて眼福♪
食べたかった「クレヨン」というパンを1個だけ購入。(1/2サイズ346円)
そのまま道路を西に突き抜けて本駒込駅へ向かいます。
喫茶店でコーヒーが飲みたいです。
ここより芭蕉さんの地、深川へ向かいます。
つぎにすすむ
麻布十番駅→市ヶ谷駅
地図で確認すると、どうやらこの川を挟んで向こう側に靖国神社があるようで。
川沿いを歩き、向こうへ渡れる橋を探す。
橋を発見し向かう最中、その橋の麓を見ると、…えっ、釣り堀??
のんびり糸を垂れる釣り人の風景が。(地図星部分
東京へ来るまでは近未来メガロポリスのような、整備された街が続いているのだろうと思っていたんですが、
過去数回の旅行で各所を見て回って、東京とはパッチワークみたいだと思いました。
超美麗建物の近くに、急に整備されていない昭和40年代の通路がでてきたり、
綺麗な街路に、突如ボロボロな高架下が現れたり、
狭い住宅地を横目に、神宮、皇居などのだだっ広い自然が広がったり、
近未来の景色と、現代の景色と、昭和の古い景色と、都会の景色と、田舎の景色と、
なんかもうひっくるめている、というか。
あと大学などが都心部にあることが驚きでした。郊外じゃないんだ…。
東京は内包する人の量が凄く多い、それはひしひしと感じました。
人が多いからこそサービス産業に向いているし、それに伴う雇用も多いのも納得。
田舎への旅行もちょろちょろ行きましたが、田舎の都会様式のトレースも変だなぁと。
中途半端な真似で田舎のハイブリット都市化はどーなんだろうなぁ。(゚〜゚)
田舎独自の近未来進化形ってどんな形なんなんですかね?
あとネット技術で、今までとは違ったベースのものがなにか出てきそうななななな…。
そう思うとネットって凄いなぁ、と。(ネット人口が急激に増えたのが04-05辺り?
今まで巨大資本が独占してきた「発信する」という技術を一般人が使える様になったので、
ニコなり、ヘタリアなり、流行の変遷が変わってきているとも感じますし、
それこそ今生きてるこの時代こそが、戦国や幕末を生きた人が感じた様な「変わり目」の様な気もするんですがね。
如何様にも変えられるグニャグニャ感というか、濁流というか。
西洋文化が急に流入しつつある空気感、戦争時代に入っていこうとする空気感、
高度経済成長期に入っていこうとする空気感、バブルに突入しようとする空気感、
そういう空気感ってどんなのだろう。
異様・特殊なのか、普通の延長なのか、突然突風が吹くのか…。
歴史も好きなんですが、今を感じるための物差しとして歴史が好きです♪ ゜+。:.゜(*´∀`)゜.:。+゜
(だから美化や改竄されてると物差しとして使えなくなるので、現実は汚くても正しい流れが知りたい
…と、話をぶった切りまして、
川を渡った先のドトールで休憩。コーヒーブレイク。
体調は戻ったので、コーヒーを解禁しております。コーヒーうまうまv (*´∀`人)
足を休め、レポを追記したら、いざ靖国神社へ出発!
靖国通りをまっすぐです。これは便利。南門より参る!
入ってすぐにあった、幕末志士ゆかりの練兵館跡碑。
幕末志士ゆかりの練兵館跡
この練兵館は、神道無念流の剣客 斉藤弥九郎により、それまで俎橋付近にあった練兵館が天保9年(1838年)の火事で類焼したため、この地に再建され、その後約30年間隆盛を誇った。
練兵館には、高杉晋作、桂小五郎(木戸孝允)、品川弥二郎など幕末の志士が多数入門し、特に桂小五郎は剣の腕前も優れ、師範代もつとめている。また、伊藤俊輔(伊藤博文)も出入りしていたといわれる。
なお、この練兵館は千葉周作(北辰一刀流)の玄武館、桃井春蔵(鏡新明智流)の士学館とともに、幕末三道場といわれている。
そして参道を進むと、
靖国神社、到着。
これがかの有名な靖国神社か… ( ゚д゚) と思いつつ、それ以上もなく。
神社…だねぇ。うん。
個人でどーでもいいことですが、おみくじを引いて大吉!
正面門からでると、眼前に広がるのは素晴らしい銀杏並木!!(見た瞬間鳥肌が!
まず銀杏の1本1本の大きさが並ではない。超ド級! まさに巨神兵が居並ぶがごとし!
しかもそれが向こう側まで続き、陽の光を浴びて黄金色。
今まで見てきた中でNo1の銀杏並木だ!
銀杏並木の中央には大村益次郎(近代日本陸軍の創設者)の銅像があるのですが…。
おや? 銅像の様子が…
… 頭のてっぺんに白鳩が居るぅぅ `;:゙;`;・(゚ε゚ )ブッ!!
他の土鳩は足下に居るのに、白いの…お前……w
銅像の表側に到着した頃には、白鳩は肩に乗ってました。(・∀・)ニヤニヤ
銀杏並木の出口までくれば、道路を挟んですぐ北の丸公園です。
公園の中には武道館もあります。
ここでまた休憩。休憩はこまめにとるよ!
公園内のベンチで昼食代わりに買ったベーグルをもぐもぐもぐもぐ…。
半分食べたとこでまたガサガサしまい、公園内の紅葉を見に行く。
今年は東京で紅葉を楽しむなんて思っても見なかったよ!
ここのモミジも色づいて綺麗〜。
紅葉の景色を楽しんだ後は道沿いに進んで、公園出口へ。
この道路を渡ると皇居と江戸城跡地です。(写真に写ってるのは乾門、一般人は入れません
江戸城跡は西は皇居として利用され立ち入り不可、東の皇居東御苑は見学できます。
休園日もあるので宮内庁HPを要チェック。見学は無料です。
入り口は大手門・平川門・北桔橋門の3カ所あって、そこで入園票を貰い、退園する時に返却。
パインは北桔橋門よりいざ入城!!(写真は北桔橋門より乾堀に向かってます
これからの進路
北桔橋門より入ってすぐにあったのは天守跡。
天守台
最初の天守閣は、1607年、二代将軍秀忠の代に完成しましたが、その後大修築され、1638年、三代将軍家光の代に、江戸幕府の権威を象徴する国内で最 も大きな天守閣が完成しました。外観5層、内部6層で、地上からの高さは58メートルありました。しかし、わずか19年後の1657年、明暦の大火(振り 袖火事)で、飛び火により全焼し、以後は再建されませんでした。
江戸城ってお城(天守閣)ないんだね。
あるもんとばかり思ってた…。
足痛くなってきたなーと思ったんですが、やっぱり登ってみました。
天守跡の端に立って敷地が写る様に撮ったのですが、…これが意外と狭い。
下から見上げてみれば、こんな感じ。
詳しくはよく分からないのですが、wikiさんを見ると、
天守は戦国時代は最終防衛拠点…つまり玉座ってことで迎賓館の役割もあった、しかし江戸期には衰退していき物置代わりとなっていった、
一方、本丸は城主が日常生活や政をする場所で戦時には最終防衛線になる、
…そうです。はい。
んで、江戸城の天守跡と本丸跡がこれ。↓
本丸は広いっちゃ広いんだけど、軍事国家のトップが住む場所にしてはそんなに広くないかな…とか。
イメージではこの3倍ぐらい余裕ですw…と思ってた。
跡地もみて、芝生で座り込んで少し休んだので、(この芝生いいなぁ〜
出口に向かって進んでいきます。
大番所(警備の偉いさんが詰めてるところ
「番所」とは、警備の詰所のことで、百人番所、同心番所とこの大番所の3つが残っています。中之門の側に設けられ、他の番所よりも位の高い与力・同心によって警備されていました。前の坂を上ったところが本丸の入口で、中雀門がありました。
百人番所(鉄砲使い100人が詰めてた所、ちょっとムサくない?w 平和期にはやっぱ形骸化してたのかな?
本丸と二の丸へ通じる要所である大手三之門の前に設けられた番所です。鉄砲百人組と呼ばれた、甲賀組、伊賀組、根来組、二十五騎組の4組が昼夜交代で詰めていました。各組には同心が100人ずつ配属されていました。
同心番所(3つの番所の中では一番格下、この前を大名達が通ったのだな
「番所」とは、警備の詰所のことで、百人番所、大番所とこの同心番所の3つが残っています。城の奥の番所ほど、位の上の役人が詰めていました。ここには同心が詰め、主として、登城する大名の供の監視に当っていました。
江戸城跡の石垣をみて、もの凄い石が垂直で、しかも表面ツルペタだったので驚いた!
どうしてこんなにも岩がツルペタ??
それでは警備さんに札も返したし、大手門より出て駅に向かいます。
次は千駄木のパン屋へ向かいます。大手町駅から乗換なしでいけるんだな♪
大手町駅→千駄木駅
12時過ぎ、千駄木駅に到着。
ここは団子坂ををまっすぐ西へ、一本道だから…迷わないよね?
「団子坂」っていうのは名前通り、やっぱり坂でした。
メインストリート一本道をまっすぐ来て、もうそろそろじゃね?と思うんですが、それっぽいお店がない…。
地図ではメインstの十字路を少し中に入る感じで書いてあるし、どっかで曲がるのかな?
と立ち止まって考え込んでいると、鼻先にシナモン系の良い匂いが流れてくる。
…。
横を見ると、植木の向こうにブラインドの隙間から並べてあるパンを発見。
っていうか立ち止まって考えてた場所がお店前だった …。
こじゃれた民家かと思ってたよ…。
パリットフワット
色んな意味で特徴的なパン屋さん。一回食べてみたかったのだ♪
お店に入ったのが12時半頃だったので、いろんなパンがいっぱい並んでいて眼福♪
食べたかった「クレヨン」というパンを1個だけ購入。(1/2サイズ346円)
そのまま道路を西に突き抜けて本駒込駅へ向かいます。
喫茶店でコーヒーが飲みたいです。
ここより芭蕉さんの地、深川へ向かいます。
つぎにすすむ
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お手軽な歴史旅行記が多いです。メインは近畿。
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