旅行:2009.10.16 大阪→敦賀
「鉄道の日記念切符」
という18切符と似た性質のお得切符が、JRから秋の一定期間売り出されるらしいと情報をゲットしたので、
その中の「JR西日本一日乗り放題で3000円」という切符に手を出してみました。
うん、大阪から東や南への旅は比較的交通機関を安く利用できるんですが、北方面へ行くにはどうにもお高い。
なので折角だから大阪より北の、敦賀・長浜・彦根へ日帰り旅行してきました。
三成手形の残りも使わなきゃ!
…前回、二日かけた旅路を日帰りって余計へビーになってる!
まずは旅の準備より。
体調が悪かった所為もあるんですが、大まかな外枠を引いたのみ。
旅行の前日夜になって、前回の時に持って帰った各地方の観光マップと時刻表をチェックしておしまい。
「鉄道の日記念切符」
という18切符と似た性質のお得切符が、JRから秋の一定期間売り出されるらしいと情報をゲットしたので、
その中の「JR西日本一日乗り放題で3000円」という切符に手を出してみました。
うん、大阪から東や南への旅は比較的交通機関を安く利用できるんですが、北方面へ行くにはどうにもお高い。
なので折角だから大阪より北の、敦賀・長浜・彦根へ日帰り旅行してきました。
三成手形の残りも使わなきゃ!
…前回、二日かけた旅路を日帰りって余計へビーになってる!
まずは旅の準備より。
体調が悪かった所為もあるんですが、大まかな外枠を引いたのみ。
旅行の前日夜になって、前回の時に持って帰った各地方の観光マップと時刻表をチェックしておしまい。
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当日朝、最寄りのJR窓口で乗り放題切符を無事ゲットし、旅が始まる!
大阪7:47発→(湖西線経由)→敦賀9:50着
乗り換えなしで一直線、乗りっぱなしで敦賀です。
…とその前に朝ご飯。
京都駅付近で座席をゲットできたので、人が空いてきた頃合いを見計らってパクパク。

この便はJR湖西線経由なので、琵琶湖の西側を回る路線です。
湖岸に線路が通っているので、列車の右手側には常に琵琶湖が見えてマス。いい景色だ〜。
景色を楽しみつつ、観光地図や三成手形を出してきてどこを巡るか思案。
基本方針は 無茶をしない、のんびり、前回とは違う場所へ、の方向で。
敦賀駅に9:50着。

まずは前回おいしかった思い出のあるとろろおにぎりを、駅内のお土産やで購入。

お土産用を含め3つ買ったんですが、敦賀を去る時に買えば荷物にならずによかったのに…とプチ後悔。とほほ…
買った中の1つ、黒とろろ梅おにぎりを待合室のベンチで早速食べる。
うんうん、とろろがご飯とマッチして美味しいんだよね〜♪ でも具が梅よりかは鮭の方が美味しかったな。
(家に帰って白とろろ版も一口貰ったんですが、こっちは中身がゆかりご飯で具なし。これはいまいちだった…鮭カムバック!

おにぎりを食べた後は観光協会に目新しいパンフがないかをチェック。
今回は自転車を借りずに、レッツ、のんびり徒歩の旅。
最初は気比神宮へ。(今回は繁華街からじゃなく、地元の道を歩いてみる
今日は敦賀は暑い…。若干晩秋仕様の服装できたので汗ダラダラ。
体調も全快ではないのでのたのた歩きながら、20分ぐらいで気比神宮到着。


撮る人が同じなので、前回の旅と似たようなアングル写真で申し訳ない。
今回は芭蕉さんの像もしっかり見てきたよ。(前回はほとんど見流したダケという…

やっぱりこの鳥居は大きくてカッコいいね。鳥居の向こうは敦賀の町です。
続きまして、永賞寺〜。
気比神宮よりのたのた歩いて10分強です。

また似たようなアングr…


前回は九重塔が冬支度でカバーがかかってたのですが、今回は生で見れました。
彫られている文字なんかあるかな?と塔の裏に回ったりしてみましたが、発見できず。
そして塔の紹介文を今回はきちんとしげしげ見たんですが、
まず最初に、このお寺自身も駅置きの観光パンフでは「菩提寺」なのかなぁ?と。
菩提寺:先祖の墓や位牌をおき、菩提を弔う寺
きちんと刑部の骨や墓があったら、そっちの方を観光的には持ち上げるだろうし…。
>墓に石塔ができてきたのは仏教の影響と関係の強い近世の江戸時代あたりからであり、それ以前は遺体は燃や されずに埋葬され、石塔もなかった(「遺体・埋葬・非建立」型)。また、浄土真宗地域および日本海側では、伝統的に火葬が行われ、石塔は建立されなかった (遺骨・埋葬/非埋葬・非建立型)。
と、ウィキさんにもある様に、石塔=墓代わりってのも考えにくい。
(細かいですか、そうですか、…すいません(´・ω・`)
加えて、

記録に寄ればこの塔は「1609年の造立」と考えられるらしい。
この1609年ってのが妙に微妙で…。
最初はそのまま素直に(大坂の陣が始まる前のまだ徳川がぴりぴりしている時に刑部押しにするなんて、なんて敦賀の民はロック魂溢れるんだ!)と思ってたんですケド、やっぱりそんな命が危なくなるような当てつけ&逆撫でするようなことをするかなぁ?と。
そこまで損得を越えて刑部愛溢れるなら、没後9年後造立っていうのは遅いと感じる…。
私は素直に結城秀康関連の供養塔では?と思っちゃったんですが…。…ダメ?
だって結城氏の菩提寺は「曹洞宗」だし、関ヶ原後に加増移封されて越前入封し病没?するまでの1607年まで治めているのだし。彼も暗殺されたのでは?という暗い死に方をしているし…。没後2年で造立だとしっくりくるし…。なぜ結城をすっとばして刑部?
塔の紹介文でもこの土地には見られない独特の形状とあるから、他所の文化圏の人が立てたと考えられるし…。
刑部の供養塔という伝承がいつ頃からどの地域で流布されてたのかも気になるなぁ…。
幕末・明治初期(藤堂家が関ヶ原に刑部の墓を建てた時代ね)だったら私は個人的にニヤニヤしますがw
マーカー部分は刑部の治めてたと言われている、敦賀郡、今立郡、丹生郡。(5万7,000石)(注:大雑把です

ホームアイコンは敦賀城跡地。(領地内で城は南西方面に作ったのね
…と、上記のような事を考えたりなんかして。
うん、いや、リアルタイムで供養塔が建つぐらいなら、もっと刑部の痕跡が残っててもいいハズ。
ゆかりの品ももっとあってもいいんじゃね?と思ったもので…。
興味を持ち出してから、刑部を追えば追う程、資料少ないなぁと思う訳で。
名前すら正式な形は謎、子供の有無もよく分からない(養子説やら、子じゃなく弟説やら)、
霞の向こうなんだよなぁ…
仮にも政権の中枢に居たんだし、自分の実母が北政所の近従として勝ち組側&長生きなのだから、もっとこっそりでも資料を残せるのになぁ…。
と思う反面、【残せなかった】のではなく【残さなかった】のかなぁ?と。
敦賀に残さなかったら他に残す場所ないじゃんねぇ? だから逆に残す気がなかったのかなぁ、と。
いや、ねぇ、関ヶ原後に西軍から没収した地でも、メイン武将の旧領には統治がスムーズに行く様に
前任者と同格の立ち位置にいる人を持ってきてるっぽいし。
豊臣行政の中心だった三成の旧領には、井伊が来ているし、
宇喜多の坊ちゃんの旧領には、小早川を、後に池田氏を置いてるし、
小西の旧領には清正で、格は妥当かなと。
んじゃ刑部の旧領に結城秀康が来ているのが、少し気になって…。
落胤が〜うんぬんじゃなくて、
豊臣・徳川を微妙なラインで繋ぐ、とてもアンタッチャブルな存在だったのかな、と。
(秀吉の隠し子説は、案外こういうところから発生してたりしてw
真田と縁を結ぶ時も、兄に徳川方は本多忠勝の娘をやってるのだから、弟とはいえ豊臣方が格下の臣下の娘をやると、徳川の面目が丸潰れ、且つ、真田との関係も悪化だろうし…。
もし真田を最初から切るつもりなら、ハナから縁を結ばせなきゃいい訳だし…。
しかしながら忠勝と刑部じゃ、等号で結ぶのは変じゃね?
…刑部がよくわからん。
などなど考えながら永賞寺を後にし、11時も回ったのでそろそろお昼ご飯へ。
今回はあそこへ行きます!
途中、きらめきみなと館へ寄り道。
どうやら明日明後日とここで特産品の展示販売会があるらしく、準備の為のノボリが沢山たってました。
…日にちを一日ずらせば良かったかな?(でもこの日じゃないと彦根のネコに逢えないしナ
きらめきみなと館のベンチで水分補給を済ませた後は、港の倉庫街を眺めつつメインストリートへ戻ってくる。
店に着く手前で発見!
芭蕉さんが敦賀に逗留した出雲屋敷跡の標柱です。その跡地には現在喫茶店が建ってました。

標柱より徒歩10秒で到着。
そうです、今回食べるのはこれ!


敦賀名物?のソースカツ丼です。観光的に一押しらしいし、食べてみようかなぁと。
基本のソーツカツ丼(たぶん860円ぐらいだった)を頼み、しばらくするとやってきたら…デカッ!
このドンブリがね、凄い深いんですよ。たぶん深さ10cmはあるな。
カツも1枚で普通の店なら一人前ですよね。衣はソースに浸ってるんですが、カリッとしてる!

しゃかしゃかチキンのような衣の風味と食感。(注:褒めてます
豚肉のハズなのに鶏肉の様に柔らかい!
おいしい!…んですが、カツ3枚の後ろには多分ごはんが1合ほど盛られています。
1合のごはんにソースが満遍なくかかっていて、ソースの味しかしないw
2/3食べたところでギブでした。これ以上食べたら吐k…
店にはお持ち帰り用のパック&ビニル袋も置いてくれてますので、残りを詰めて鞄に。
(残りは家で食べました、冷めても美味しかったよ
次はこの近くにある紅屋さんで、求肥昆布と吉継ゼリーをお土産に購入。

求肥系が結構好きなので、wkwkしながら家に帰った後食べてみると、
昆布飴の周りに大量の砂糖を振ったような感じで…あっ、甘っ!!
回りに配った反応を見てると、好き嫌いの差がくっきりでます。
次は…と目指したのは敦賀酒造。
この酒造さんは寛永元年(1624年)創業だとか。これはwktkするしかない! .。゚+.(・∀・)゚+.゚
10月なのに暑っつい敦賀の町を練り歩き、敦賀酒造に到着。
またこの建物がね、歴史ある木造建築の味をだしてるんですよ。写真ないけどね!(苦笑)
店の玄関とおぼしき看板前の扉は閉まっていて室内の電気は消えていたので、(今日は休業日かな?それとも小売りはしてないのかな?)と思ってウロウロしてると、メインじゃない別の出入り口の方は開いていて。
そこにはおばあちゃんが座っていたので、「こちらでお酒を買えますか?」と聞くと「もちろん買えるよ」と。
わーい♪♪と中に入ると奥様もやってきてお酒を紹介してくれました。
ラインナップは4種類あったんですが、その中でも関ヶ原400年記念用に作られたお酒があったのでそれに決定!
ラベルがね↓の写真なんですよ。720mlで1400円ぐらい。

(この写真は前回の使い回しね
箱に詰めてもらっている間、おばあちゃんとお話しをしていると、この建物は350年前に立てられたものなのだとか。
加えて前回の12月の敦賀でも雪が降ってなかったのでいつ頃降ってますかと聞くと、奥様が商品を持ってやってきて、最近は暖冬だからここでも滅多に積もらない、積もるとすれば2月ぐらいかな…と。昔は雪かきとかよくしたのにね、だそうで。
酒造を後にし、さぁ次はどうするか?と時計を見ると現在は12時少し前。
次の長浜便は12:20発、その後は13:19発。
酒造より気比松原は徒歩15分らしいケド、お土産などで荷物が重くなってきたし、
体調が万全でないので今でも息が切れ気味。
あと一時間、敦賀でうろうろするのはしんどいなぁ…と観光を切り上げ、次の地長浜へ向かう為に敦賀駅へ戻る。
な の で す が、酒造から駅までは徒歩で20分程。
またか…と思いつつ、時間ギリギリなので早足で駅へ!
敦賀の改札前に着いたのが列車発車まで1分半前。
お土産のおにぎり買っててよかった!(買う暇ない!)と思いつつ、発車ベルが鳴る中を駆け込んで、
ギリギリ間に合い 座席でぜーぜーいっている自分にがっくし。
優雅な旅って遠いね。(´・ω・`)
つぎにすすむ
大阪7:47発→(湖西線経由)→敦賀9:50着
乗り換えなしで一直線、乗りっぱなしで敦賀です。
…とその前に朝ご飯。
京都駅付近で座席をゲットできたので、人が空いてきた頃合いを見計らってパクパク。
この便はJR湖西線経由なので、琵琶湖の西側を回る路線です。
湖岸に線路が通っているので、列車の右手側には常に琵琶湖が見えてマス。いい景色だ〜。
景色を楽しみつつ、観光地図や三成手形を出してきてどこを巡るか思案。
基本方針は 無茶をしない、のんびり、前回とは違う場所へ、の方向で。
敦賀駅に9:50着。
まずは前回おいしかった思い出のあるとろろおにぎりを、駅内のお土産やで購入。
お土産用を含め3つ買ったんですが、敦賀を去る時に買えば荷物にならずによかったのに…とプチ後悔。とほほ…
買った中の1つ、黒とろろ梅おにぎりを待合室のベンチで早速食べる。
うんうん、とろろがご飯とマッチして美味しいんだよね〜♪ でも具が梅よりかは鮭の方が美味しかったな。
(家に帰って白とろろ版も一口貰ったんですが、こっちは中身がゆかりご飯で具なし。これはいまいちだった…鮭カムバック!
おにぎりを食べた後は観光協会に目新しいパンフがないかをチェック。
今回は自転車を借りずに、レッツ、のんびり徒歩の旅。
最初は気比神宮へ。(今回は繁華街からじゃなく、地元の道を歩いてみる
今日は敦賀は暑い…。若干晩秋仕様の服装できたので汗ダラダラ。
体調も全快ではないのでのたのた歩きながら、20分ぐらいで気比神宮到着。
撮る人が同じなので、前回の旅と似たようなアングル写真で申し訳ない。
今回は芭蕉さんの像もしっかり見てきたよ。(前回はほとんど見流したダケという…
やっぱりこの鳥居は大きくてカッコいいね。鳥居の向こうは敦賀の町です。
続きまして、永賞寺〜。
気比神宮よりのたのた歩いて10分強です。
また似たようなアングr…
前回は九重塔が冬支度でカバーがかかってたのですが、今回は生で見れました。
彫られている文字なんかあるかな?と塔の裏に回ったりしてみましたが、発見できず。
そして塔の紹介文を今回はきちんとしげしげ見たんですが、
まず最初に、このお寺自身も駅置きの観光パンフでは「菩提寺」なのかなぁ?と。
菩提寺:先祖の墓や位牌をおき、菩提を弔う寺
きちんと刑部の骨や墓があったら、そっちの方を観光的には持ち上げるだろうし…。
>墓に石塔ができてきたのは仏教の影響と関係の強い近世の江戸時代あたりからであり、それ以前は遺体は燃や されずに埋葬され、石塔もなかった(「遺体・埋葬・非建立」型)。また、浄土真宗地域および日本海側では、伝統的に火葬が行われ、石塔は建立されなかった (遺骨・埋葬/非埋葬・非建立型)。
と、ウィキさんにもある様に、石塔=墓代わりってのも考えにくい。
(細かいですか、そうですか、…すいません(´・ω・`)
加えて、
記録に寄ればこの塔は「1609年の造立」と考えられるらしい。
この1609年ってのが妙に微妙で…。
最初はそのまま素直に(大坂の陣が始まる前のまだ徳川がぴりぴりしている時に刑部押しにするなんて、なんて敦賀の民はロック魂溢れるんだ!)と思ってたんですケド、やっぱりそんな命が危なくなるような当てつけ&逆撫でするようなことをするかなぁ?と。
そこまで損得を越えて刑部愛溢れるなら、没後9年後造立っていうのは遅いと感じる…。
私は素直に結城秀康関連の供養塔では?と思っちゃったんですが…。…ダメ?
だって結城氏の菩提寺は「曹洞宗」だし、関ヶ原後に加増移封されて越前入封し病没?するまでの1607年まで治めているのだし。彼も暗殺されたのでは?という暗い死に方をしているし…。没後2年で造立だとしっくりくるし…。なぜ結城をすっとばして刑部?
塔の紹介文でもこの土地には見られない独特の形状とあるから、他所の文化圏の人が立てたと考えられるし…。
刑部の供養塔という伝承がいつ頃からどの地域で流布されてたのかも気になるなぁ…。
幕末・明治初期(藤堂家が関ヶ原に刑部の墓を建てた時代ね)だったら私は個人的にニヤニヤしますがw
マーカー部分は刑部の治めてたと言われている、敦賀郡、今立郡、丹生郡。(5万7,000石)(注:大雑把です
ホームアイコンは敦賀城跡地。(領地内で城は南西方面に作ったのね
…と、上記のような事を考えたりなんかして。
うん、いや、リアルタイムで供養塔が建つぐらいなら、もっと刑部の痕跡が残っててもいいハズ。
ゆかりの品ももっとあってもいいんじゃね?と思ったもので…。
興味を持ち出してから、刑部を追えば追う程、資料少ないなぁと思う訳で。
名前すら正式な形は謎、子供の有無もよく分からない(養子説やら、子じゃなく弟説やら)、
霞の向こうなんだよなぁ…
仮にも政権の中枢に居たんだし、自分の実母が北政所の近従として勝ち組側&長生きなのだから、もっとこっそりでも資料を残せるのになぁ…。
と思う反面、【残せなかった】のではなく【残さなかった】のかなぁ?と。
敦賀に残さなかったら他に残す場所ないじゃんねぇ? だから逆に残す気がなかったのかなぁ、と。
いや、ねぇ、関ヶ原後に西軍から没収した地でも、メイン武将の旧領には統治がスムーズに行く様に
前任者と同格の立ち位置にいる人を持ってきてるっぽいし。
豊臣行政の中心だった三成の旧領には、井伊が来ているし、
宇喜多の坊ちゃんの旧領には、小早川を、後に池田氏を置いてるし、
小西の旧領には清正で、格は妥当かなと。
んじゃ刑部の旧領に結城秀康が来ているのが、少し気になって…。
落胤が〜うんぬんじゃなくて、
豊臣・徳川を微妙なラインで繋ぐ、とてもアンタッチャブルな存在だったのかな、と。
(秀吉の隠し子説は、案外こういうところから発生してたりしてw
真田と縁を結ぶ時も、兄に徳川方は本多忠勝の娘をやってるのだから、弟とはいえ豊臣方が格下の臣下の娘をやると、徳川の面目が丸潰れ、且つ、真田との関係も悪化だろうし…。
もし真田を最初から切るつもりなら、ハナから縁を結ばせなきゃいい訳だし…。
しかしながら忠勝と刑部じゃ、等号で結ぶのは変じゃね?
…刑部がよくわからん。
などなど考えながら永賞寺を後にし、11時も回ったのでそろそろお昼ご飯へ。
今回はあそこへ行きます!
途中、きらめきみなと館へ寄り道。
どうやら明日明後日とここで特産品の展示販売会があるらしく、準備の為のノボリが沢山たってました。
…日にちを一日ずらせば良かったかな?(でもこの日じゃないと彦根のネコに逢えないしナ
きらめきみなと館のベンチで水分補給を済ませた後は、港の倉庫街を眺めつつメインストリートへ戻ってくる。
店に着く手前で発見!
芭蕉さんが敦賀に逗留した出雲屋敷跡の標柱です。その跡地には現在喫茶店が建ってました。
標柱より徒歩10秒で到着。
そうです、今回食べるのはこれ!
敦賀名物?のソースカツ丼です。観光的に一押しらしいし、食べてみようかなぁと。
基本のソーツカツ丼(たぶん860円ぐらいだった)を頼み、しばらくするとやってきたら…デカッ!
このドンブリがね、凄い深いんですよ。たぶん深さ10cmはあるな。
カツも1枚で普通の店なら一人前ですよね。衣はソースに浸ってるんですが、カリッとしてる!
しゃかしゃかチキンのような衣の風味と食感。(注:褒めてます
豚肉のハズなのに鶏肉の様に柔らかい!
おいしい!…んですが、カツ3枚の後ろには多分ごはんが1合ほど盛られています。
1合のごはんにソースが満遍なくかかっていて、ソースの味しかしないw
2/3食べたところでギブでした。これ以上食べたら吐k…
店にはお持ち帰り用のパック&ビニル袋も置いてくれてますので、残りを詰めて鞄に。
(残りは家で食べました、冷めても美味しかったよ
次はこの近くにある紅屋さんで、求肥昆布と吉継ゼリーをお土産に購入。
求肥系が結構好きなので、wkwkしながら家に帰った後食べてみると、
昆布飴の周りに大量の砂糖を振ったような感じで…あっ、甘っ!!
回りに配った反応を見てると、好き嫌いの差がくっきりでます。
次は…と目指したのは敦賀酒造。
この酒造さんは寛永元年(1624年)創業だとか。これはwktkするしかない! .。゚+.(・∀・)゚+.゚
10月なのに暑っつい敦賀の町を練り歩き、敦賀酒造に到着。
またこの建物がね、歴史ある木造建築の味をだしてるんですよ。写真ないけどね!(苦笑)
店の玄関とおぼしき看板前の扉は閉まっていて室内の電気は消えていたので、(今日は休業日かな?それとも小売りはしてないのかな?)と思ってウロウロしてると、メインじゃない別の出入り口の方は開いていて。
そこにはおばあちゃんが座っていたので、「こちらでお酒を買えますか?」と聞くと「もちろん買えるよ」と。
わーい♪♪と中に入ると奥様もやってきてお酒を紹介してくれました。
ラインナップは4種類あったんですが、その中でも関ヶ原400年記念用に作られたお酒があったのでそれに決定!
ラベルがね↓の写真なんですよ。720mlで1400円ぐらい。
(この写真は前回の使い回しね
箱に詰めてもらっている間、おばあちゃんとお話しをしていると、この建物は350年前に立てられたものなのだとか。
加えて前回の12月の敦賀でも雪が降ってなかったのでいつ頃降ってますかと聞くと、奥様が商品を持ってやってきて、最近は暖冬だからここでも滅多に積もらない、積もるとすれば2月ぐらいかな…と。昔は雪かきとかよくしたのにね、だそうで。
酒造を後にし、さぁ次はどうするか?と時計を見ると現在は12時少し前。
次の長浜便は12:20発、その後は13:19発。
酒造より気比松原は徒歩15分らしいケド、お土産などで荷物が重くなってきたし、
体調が万全でないので今でも息が切れ気味。
あと一時間、敦賀でうろうろするのはしんどいなぁ…と観光を切り上げ、次の地長浜へ向かう為に敦賀駅へ戻る。
な の で す が、酒造から駅までは徒歩で20分程。
またか…と思いつつ、時間ギリギリなので早足で駅へ!
敦賀の改札前に着いたのが列車発車まで1分半前。
お土産のおにぎり買っててよかった!(買う暇ない!)と思いつつ、発車ベルが鳴る中を駆け込んで、
ギリギリ間に合い 座席でぜーぜーいっている自分にがっくし。
優雅な旅って遠いね。(´・ω・`)
つぎにすすむ
大阪・天保山のサントリーミュージアムで3ヶ月間程開催されていた
「スタジオジブリ・レイアウト展」へいってきました。
>「風の谷のナウシカ」から「崖の上のポニョ」まで、宮崎監督直筆のレイアウトを中心に、高畑・宮崎監督がジブリ以前に手がけた作品も含め、1000点以上のレイアウトを集めた初めての展覧会 by公式hp
人づてに聞いたところ、イベント効果でもの凄い混雑しているらしい。特に休日は。
なんとか最終日+休日という条件の中、人ごみは回避できないかと考えて、閉館の1時間前に行く事に。
「スタジオジブリ・レイアウト展」へいってきました。
>「風の谷のナウシカ」から「崖の上のポニョ」まで、宮崎監督直筆のレイアウトを中心に、高畑・宮崎監督がジブリ以前に手がけた作品も含め、1000点以上のレイアウトを集めた初めての展覧会 by公式hp
人づてに聞いたところ、イベント効果でもの凄い混雑しているらしい。特に休日は。
なんとか最終日+休日という条件の中、人ごみは回避できないかと考えて、閉館の1時間前に行く事に。
ミュージアム玄関口、到着。
見終わって帰っていく人達が多い、しめしめ。
チケットカウンター横の壁一面には「オリジナルまっくろくろすけ」を書いて貼れるコーナーが。

ずらーーっとこいつらが並んでました。ほんと、壮観。(中には8O1ちゃん?も混じってたw
後は内部撮影禁止だから、カメラを閉まってgo!
展示数が半端無いので正直ゆっくりみたら2〜3時間はかかる。こりゃ混むわ。
展示室に入った当初は予想通り空いてました。
ただ見る部分が多すぎるため、先に進む程人がどんどん増えていく。つまり流れが停滞してるのな。


こんなところにも細かい仕事が。(こいつらが点々と道案内してくれる
内部は撮影できないから、接続通路のここだけパシャリ (・∀・)ゝ
展示は古い作品→最新作の順で並べられてるので、トップはナウシカ・ラピュタゾーン。
もの凄い絵に力があって、見てるだけで圧倒されてしまう。
レイアウト紙の枠内を無視して思うままに書き込むなど、フリーダムさが凄い!
デカいレイアウトには紙を二枚セロテープで留めて使用してるんだけど、留め方もガタガタw 雑っ!
好きなものに内の情熱をぶつけている、暴走する熱量を感じました。
そのゾーンを過ぎて次ぎにいくと、蛍の墓・トトロ・魔女の宅急便の時代へ。
ここからが急にオトナシくなっててギャップに驚いた!
レイアウト紙の指定枠にきちんと収めてるし、セロテも2枚平行になる様留めている…。
熱量をぶつけてくる才能むき出しの奇人クリエーターではなく、ルール遵守の常識人…というか。
このころだっけな、色付けがデジタル化しだして、その影響もあるのかもしれないね。
ここから先はきちんとした常識的レイアウトが並んでくんだけど、もののけ姫になるとまた初期のむき出しクリエーターレイアウト化。千と千尋は奇人と常識人絵が混ざってた。
全体的にはこんな印象でした。
展示物の他には、高畑、宮崎両名の現場を語るビデオも流れてて。(各5分ほど
高畑さんは「レイアウト作業」ができた時代背景を語ってた(ような ←あやふや
当時色付けは手作業で、そんな速度も望めない時代にハイジというTVアニメの仕事が来て現場がギリギリの状態に追いつめられた中、創作された(宮崎さんが勝手にやりだした)行程だとか。
宮崎さんは「レイアウト作業」の内容や意義を語ってた(ような ←あやふや
昔はセル画絵師が自分の担当するコンテを見て、自分で構成を考えていたらしい。
それを画面構成(レイアウト)は宮崎さんが一手に手がけて、後行程のセル画絵師はスムーズに作業ができ効率があがる、と。
パラパラ漫画に例えると、
どういう物語の流れにするのか骨子の台本が「コンテ」で、
枠のどの位置にどういうバランスで置くか考えるのが「レイアウト」、
あとはそれをみてパラパラすると動く様にズラしながら描いて動きを持たせるのが「セル画」…って感じ?
そういう話の流れのなかで宮崎さんは、背景などは「精密・正確さ=最上級」ではない、とも。
人の目は正しく世界を見ている訳ではない。興味のあるものは大きく、興味のないものはほとんど存在感がない。
だから自分はあまり補助線を引いて計算正しく描くのが好きじゃない。
あくまで自分は「人の目からみた世界」を描いているから。歪みを持たせている。
作業場でも自分で撮った写真を参考に背景を描いている子もいますが、その写真の風景は「一眼レフがみた世界」なんですよ。
自分の目で見た世界を描いた方がいい。その方が人に近いでしょ?と。
あと、先に書いたTVハイジ制作を請け負った修羅場の中、背景をそれぞれに描いていたら間に合わないので、大きな紙に背景を描いてそれで5カット分取った話とか。
こういう、こだわる部分と、ザックリ切り捨てる決断力が素敵だなぁ。
ほんとに展示物が多くて、後半はさーっと流す様にしか見れませんでした。(ぽにょ系はほとんど見てない
なんとか閉館時間に合わせて展示室を飛び出し(まだ残ってる人もいっぱいいた)出口の物販コーナーに行くと、
そこは満員電車並みの混雑… ( Д ) ゚ ゚
ジブリの力ってすげーなーと感心して家に帰りました。
見終わって帰っていく人達が多い、しめしめ。
チケットカウンター横の壁一面には「オリジナルまっくろくろすけ」を書いて貼れるコーナーが。
ずらーーっとこいつらが並んでました。ほんと、壮観。(中には8O1ちゃん?も混じってたw
後は内部撮影禁止だから、カメラを閉まってgo!
展示数が半端無いので正直ゆっくりみたら2〜3時間はかかる。こりゃ混むわ。
展示室に入った当初は予想通り空いてました。
ただ見る部分が多すぎるため、先に進む程人がどんどん増えていく。つまり流れが停滞してるのな。
こんなところにも細かい仕事が。(こいつらが点々と道案内してくれる
内部は撮影できないから、接続通路のここだけパシャリ (・∀・)ゝ
展示は古い作品→最新作の順で並べられてるので、トップはナウシカ・ラピュタゾーン。
もの凄い絵に力があって、見てるだけで圧倒されてしまう。
レイアウト紙の枠内を無視して思うままに書き込むなど、フリーダムさが凄い!
デカいレイアウトには紙を二枚セロテープで留めて使用してるんだけど、留め方もガタガタw 雑っ!
好きなものに内の情熱をぶつけている、暴走する熱量を感じました。
そのゾーンを過ぎて次ぎにいくと、蛍の墓・トトロ・魔女の宅急便の時代へ。
ここからが急にオトナシくなっててギャップに驚いた!
レイアウト紙の指定枠にきちんと収めてるし、セロテも2枚平行になる様留めている…。
熱量をぶつけてくる才能むき出しの奇人クリエーターではなく、ルール遵守の常識人…というか。
このころだっけな、色付けがデジタル化しだして、その影響もあるのかもしれないね。
ここから先はきちんとした常識的レイアウトが並んでくんだけど、もののけ姫になるとまた初期のむき出しクリエーターレイアウト化。千と千尋は奇人と常識人絵が混ざってた。
全体的にはこんな印象でした。
展示物の他には、高畑、宮崎両名の現場を語るビデオも流れてて。(各5分ほど
高畑さんは「レイアウト作業」ができた時代背景を語ってた(ような ←あやふや
当時色付けは手作業で、そんな速度も望めない時代にハイジというTVアニメの仕事が来て現場がギリギリの状態に追いつめられた中、創作された(宮崎さんが勝手にやりだした)行程だとか。
宮崎さんは「レイアウト作業」の内容や意義を語ってた(ような ←あやふや
昔はセル画絵師が自分の担当するコンテを見て、自分で構成を考えていたらしい。
それを画面構成(レイアウト)は宮崎さんが一手に手がけて、後行程のセル画絵師はスムーズに作業ができ効率があがる、と。
パラパラ漫画に例えると、
どういう物語の流れにするのか骨子の台本が「コンテ」で、
枠のどの位置にどういうバランスで置くか考えるのが「レイアウト」、
あとはそれをみてパラパラすると動く様にズラしながら描いて動きを持たせるのが「セル画」…って感じ?
そういう話の流れのなかで宮崎さんは、背景などは「精密・正確さ=最上級」ではない、とも。
人の目は正しく世界を見ている訳ではない。興味のあるものは大きく、興味のないものはほとんど存在感がない。
だから自分はあまり補助線を引いて計算正しく描くのが好きじゃない。
あくまで自分は「人の目からみた世界」を描いているから。歪みを持たせている。
作業場でも自分で撮った写真を参考に背景を描いている子もいますが、その写真の風景は「一眼レフがみた世界」なんですよ。
自分の目で見た世界を描いた方がいい。その方が人に近いでしょ?と。
あと、先に書いたTVハイジ制作を請け負った修羅場の中、背景をそれぞれに描いていたら間に合わないので、大きな紙に背景を描いてそれで5カット分取った話とか。
こういう、こだわる部分と、ザックリ切り捨てる決断力が素敵だなぁ。
ほんとに展示物が多くて、後半はさーっと流す様にしか見れませんでした。(ぽにょ系はほとんど見てない
なんとか閉館時間に合わせて展示室を飛び出し(まだ残ってる人もいっぱいいた)出口の物販コーナーに行くと、
そこは満員電車並みの混雑… ( Д ) ゚ ゚
ジブリの力ってすげーなーと感心して家に帰りました。
大坂の陣を歩こう! 九度山&道明寺散策レポート2
お菓子も食べ終わり、電車が来たので乗車。
(南海線)
九度山12:43発→河内長野13:32着
料金:480円
河内長野駅に着いたら、南海線から近鉄線に乗り換え。
その前に、河内長野駅前が意外と拓けていて散策しようかな?と思ったんですが、どうやら近鉄線の次便がすぐに来るらしく、特に散策もしないままホームへ。
このとき(ヤケに浴衣姿のお嬢さんが多いなぁ…地元の夏祭りかなぁ…)と思ってました。
(近鉄線)
河内長野13:47発→古市14:05着
料金:290円
近鉄の河内長野駅→古市駅の間には、富田林駅と喜志駅があり、もし聖徳太子&妹子の墓を観光する場合はここが最寄り駅になります。
車窓から眺めるとおそらく墓のある場所は山手でしたありがとうございました。
古市駅着。
この時点で分かった。今日はP/Lの花火大会だったらしく、だからやけに人手が多かったんだ…。(lll´Д`)
駅のホームに帰りの切符は混雑するので購入しといてくださいなど、ガクブルな文章の羅列が…。
…暗くなる前に帰るから…大丈夫だよね??
これからの行程

古市駅を出発して、各史跡を回り、道明寺駅まで行こうというもの。
古市駅で昼ご飯でも食べようか…と思ってたんですが、花火大会の影響で駅前は人出が凄いよね。
駅前を避け、各史跡にいく道沿いで良さげな店があればそこで食べよう!と出発する。
まずは誉田八幡宮へ。
本日の天気予報では曇り時々雨…ということだったので、折り畳み傘を携帯。
持ち歩きに重くて(-_-)だったけど、この八幡宮へ向かう途中で小雨が降り出し、お役立ちツールに変化。
えへへっ( ´∀`)σ
しばらく歩いて到着。
またまた裏の南大門から入って来たらしく、…これも一種の才能? Σ(´Д` )ハッ! (ちがいます)
誉田八幡宮


応神天皇を祀る。自称「日本最古の八幡宮」(実際にはもっと後に建立されたものとみられる byウィキ
ここは天皇が幼少の頃に居住されていたところらしい。 by公式HP
応神天皇:第15代天皇。皇祖神や武神として祭られている。祖父は日本武尊。
八幡宮→八幡神を祀る神社(八幡神=応神天皇ではないか?と言われている)
ちなみに源氏の氏神は八幡らしい。だから武士に人気の信仰。
ここも豊臣秀頼が再興、普請奉行に片桐且元コンビでやってます。がんばれ!且元っちゃん!
この日は結婚式がありました。


この石橋を渡ると応神天皇陵らしい。立ち入り禁止だけどね。

…それにしてもこの地域は天皇陵が多いなぁ(電車に乗ってるときも、こんもりとした陵が至る所に見えた
分かりやすい様にマーキングしてみました。

…ぞっ、象の墓場?
土地はいっぱいあるのに、どうして一カ所に固めるんだろうね?
八幡宮散策に戻って、馬の象。
日本書紀の雄略天皇紀に誉田で出会った神馬のエピソードがあるそうです。


そして外せないのが誉田林古戦場。
大坂夏の陣の時、大坂方の薄田隼人正がこの境内に布陣して出撃したが、道明寺付近で戦死。
そして正門より出る!

大鳥居の八幡宮の「八」部分が、鳥が向かい合う様なデザインで可愛い。
正門付近の道路はこんな感じで、おもむきがあって素敵。

ここから次の玉手山公園へ向かうべく10分ほど歩いていると、
しとしと降りだった雨脚が急にキツくなる。
…といってる間にどしゃぶり。


折り畳みの傘も折れそうな酷さなので、とりあえず避難できそうな屋根を探す。こりゃスコールだ。 (lll´Д`)
…そして碓井八坂神社を発見。軒先を借りることに。
避難したのが14時半ごろ。
10分経っても、20分経っても、一向に緩まない嵐。雷もバリバリっと鳴ってる…こりゃ近くに落ちてるな…
叩き付ける様な豪雨だから何時間も続かないだろう…と諦めて、木枠の上に三角座りをして回復を待つ。


ぼーっと座って待ってる時に、屋根のありがたさと、家のありがたさを感じる。
壁一枚あるだけでも全然ちがう。嵐で外はめちゃくちゃ怖いよw
昔の旅人なんかは、山中で嵐にあったら大変だっただろうな、とか、
雨具が笠じゃ着物ヌレヌレじゃん! どうしてたのかしら? とか、
脳内細道ごっこを開催。…うぅぅ、そらくん、雷と大雨…こわいよぉ…(´;ω;`)
結局一時間後、嘘の様にからっと雨が上がる。
時計を見ると15時半か…、まだ日没までは時間あるな(でもご飯を食べてる余裕はないな…)と次へ向かう。
田んぼが水没して、鳥が泳いでる…


右写真はイチジクの畑です。ここも水没。
この近辺はイチジク畑が広がっていて、丁度シーズンらしく凄いイチジクの甘い香りが漂ってました。
石川の河川敷を北へ。(公園へ行く為の東側に渡る橋を探す



雨で増水してエラいことになってます。
ちなみにここ石川は、真田幸村隊と伊達政宗隊が激突した場所だそうです。(by 鉄砲対決
ここより4kmほど北へ行くと八尾。(木村重成、長宗我部盛親vs藤堂高虎、井伊直孝
1615年5月6日。
【八尾・若江方面】の部隊は午前5時着陣、
対井伊(9500)だった木村隊(6000)は激戦の末、本隊壊滅、木村重成が戦死。
対藤堂(5000)だった長宗我部隊(5300)は藤堂隊を壊乱させたが、正午頃、木村隊の敗報が届き、大坂城へ撤退。
※藤堂勢および井伊勢はこの戦闘で大きな被害を受け、翌日の天王寺・岡山の戦いの先鋒を辞退せざるをえなくなった。
※長宗我部盛親は八尾の合戦かその後退時に、大損害を受け実質壊滅したと考えられる。事実、翌日の天王寺・岡山の戦いでは盛親は大坂城に留まり、戦闘には参加しなかった。
【道明寺方面】先発部隊の一部(後藤隊 2800)は、午前4時、攻撃を仕掛ける。
対する徳川方は水野隊、堀隊、本多隊、松平隊、伊達隊。(計34300)
小松山を巡り激しい銃撃戦を繰り返したが、正午頃、約8時間もの激闘の末、後藤基次は戦死、部隊は壊滅。
【道明寺方面】先発部隊の残り(薄田隊、明石隊、山川隊 計3600)が、正午頃やっと着陣。
薄田は奮戦したが戦死、残りは道明寺よりやや南に移動した【誉田方面】へ撤退。
【誉田方面】で後発部隊の毛利隊、真田隊(計12000)が合流。壊滅部隊の生き残りを吸収する。
徳川方との混戦の後、両軍立て直しの為、膠着状態へ。
午後2時半頃、八尾・若江の敗報と、各隊退却の命令が大坂城から届く。
真田隊を殿軍とし、午後4時過ぎから順次天王寺方面へ撤退を開始。徳川方は兵の疲弊を理由に追撃はしなかった。
※後藤隊以外の遅参について、濃霧で移動が大幅に遅れた、もともと後藤隊は後続が布陣するまでの捨て駒だった、など諸説がある。
そして翌日の5月7日 天王寺決戦へ。

その真田隊の激戦があった石川を渡り、向かうは玉手山公園(小松山)!
この石川に架かっている玉手橋は鉄製の吊り橋で、国の文化財だそうです。
いざ!玉手山公園! (*`・ω・´)ノ
…と意気込んだはいいが、公園への道は坂道。
てっきり平地にあるもんとばかり思ってたのに…。
平地=近くまで行けばこんもりとした小松山があって分かりやすいのでは!? と思ってたので、案内看板も少なかったので、道があってるのかドキドキしながら進むことに…。
よかった…迷子にならなかった…。
と、公園の入り口に着いたはいいケド、公園内がこれまた急な坂道と階段群。…チーン。


ハァハァと息を切らせながら登るとようやく見えてきたマタベーの碑。
途中で簡易ながら大坂の陣資料館と郷土おもちゃ資料館があったので寄り道。
後藤又兵衛の碑

うぅぅ…またべー… (´;ω;`) ←後藤又兵衛も好き
上に書いた通り、彼は少数で圧倒的大数を相手にこの場所を死守し、そして戦死します。
大坂の陣での戦略の観点から、まず東の徳川方が大坂に入ってくるのに二つの道があり。
それが高槻のある北ルートと、ここ道明寺近辺の南ルート。
ほかは山に囲まれているので、大軍で来ようとすればこの二つしかない。

※Aアイコンは道明寺の位置です
徳川方は河内・大和・紀伊方面より大坂城に迫った為、第一次防衛前線が道明寺ラインとなる。

ここを死守したってよぅ…という気持ちになるが、もうそれは言わないお約束だね。
ここまで来たら最善を尽くすしかない。
そして後藤碑の近くには小林一茶の句碑もあった。
この人も公園内の歴史資料館で少し紹介があったけど、家族に恵まれなかった人生らしい。

大坂の陣の切なさと、小林一茶の悲しさのダブルパンチでへろへろに。
おまけにお腹も空いて、足もしんどいので、お酒を調達。
心底ダウン状態だったので、飲んだら逆にもの凄くハイになりました。

やや浮つきながら石川を再び越えて、16時50分頃に道明寺天満宮着。
道明寺天満宮



もともとは菅原氏・土師氏の祖先に当たり、相撲の祖といわれる野見宿禰の所領地で、土師神社があった。
仏教伝来後、伝承では聖徳太子の発願により土師寺を建立。
平安時代、土師寺には菅原道真のおばが住んでおり、道真も時々この寺を訪れ、この寺のことを「故郷」と詠んだ歌もある。 byウィキ
入り口には閉門17時と書いてあった様に思うんですが、既に閉まってました。
…花火大会の影響?
そして天満宮から少し移動して、道明寺に到着。

「道明寺」と「道明寺天満宮」は違うのですか?
1872年までは同じ境内にあったのですが、神仏分離令により移設しました。
天満宮の境内にはその名残として、菩提樹の木と参道跡が残っています。 by公式HPより
17時を越えていたので、もちろん門は閉まっていました。 (´・ω・`)ショボーン

駅前の商店街でおみやげ用に朝もぎの地元産イチジク購入。
道明寺→近鉄阿倍野橋(P/L花火大会用臨時便)
料金:340円
19時前にあべの(天王寺)に着くと、それはもう凄い人。浴衣ゆかたユカタ…どうやら花火の人出らしい。
よかった…巻き込まれずに帰って来れた…
ホッ…と思いながらも、…あそこも行くか!ということで、天王寺決戦の場所も巡ることに。
うん、そうです。あそこです。
行き道にあった堀越神社。

聖徳太子が四天王寺を創建した際、崇峻天皇を祭神として風光明媚な茶臼山の地に社殿を造営した。 byウィキ
ここでも太子が建てております。…たくさん建てるなぁ。
そして着いたよ、安居神社。

真田幸村終焉の地。
1615年5月7日。
前日の激戦をくぐり抜け道明寺、八尾より引き上げた各部隊は、大坂城に集結する。
天王寺口は真田信繁、毛利勝永など14500。
岡山口は大野治房ら4600。
別働隊として明石全登300。
全軍の後詰として大野治長・七手組の部隊計15000が布陣。
正午頃、火蓋が切られる。
天王寺・岡山合戦は戦国の世最大にして最後の戦いであり、これまでに例を見ない兵力と火力が集中し、大激戦となった。
豊臣軍は多くの将兵を失って午後三時頃には壊滅。
絶望的な状況の中、唯一戦線を維持し続けた毛利勝永の指揮により、豊臣軍は城内に総退却した。
5月7日深夜に大坂城、陥落。
翌日、秀頼は淀殿らとともに勝永に介錯され自害した。
※天王寺合戦は島津家の「薩藩旧記」で「真田日本一の兵、古よりの物語にもこれなき由、徳川方、半分敗北」などと記された。
※ しかし、天王寺・岡山の戦いで活躍したのは、真田信繁だけではなく毛利勝永、大野治房らも活躍している。真田信繁は徳川軍の中を敵中突破しただけであり、 毛利勝永と大野治房は、自軍の数倍もの徳川軍に正面から当たり、壊滅させている。また、真田信繁が強行突破できたのは、快進撃を続けていた毛利勝永隊に徳川軍が集中していたのも一因である。
武士には別名が三つある。もののふ・さむらい・つわものである。
「もののふ」は古代の日本の軍事面を担当した一族「物部氏」にちなんだもので、つまり武力をもって国家に奉仕する者であり、
「さむらい(侍)」は「侍う者」の意味で、武力をもって特定の一族(例えば藤原氏)に奉仕する者のこと、
「つわもの」は兵器(うつわ)を扱うことを専門とする者、武器を扱うプロ集団という側面を強調すれば「つわもの(兵)」になる。
…だそうなので、兵(つわもの)=戦い方が巧みだったってこと? 侍(豊臣の従者)ではなく、兵。
私は「真田日本一の兵」の【真田】という言葉の意味の中には、
絶望の中、快進撃を続け、散っていった大坂方各将達…という意味も込められていると思いますが。
最寄り駅への行き道に、(確かこの辺にあったよなぁ…)と記憶を頼りに行ってみたら、あったよ閻魔堂。
小さい頃、ここを通るのが凄く怖かったんだ。うん。

場所は安居神社に面している道路を、そのまま西へ。松屋町筋を渡ったとこにあります。
安居神社より徒歩3分ぐらい。
時間が時間だったので閉まってました。閻魔大王は残業はしないみたい。
最寄り駅に向かう途中、そのまま通天閣にも寄ってみる。


街並はすんごいごちゃごちゃしてます。有名串カツ屋に至っては大行列!
このカオス感も、他県の人が来たら楽しいだろうねv
ここから地下鉄に乗り、九度山&道明寺散策はこれにて終了!
おつかれさまでした。
(南海線)
九度山12:43発→河内長野13:32着
料金:480円
河内長野駅に着いたら、南海線から近鉄線に乗り換え。
その前に、河内長野駅前が意外と拓けていて散策しようかな?と思ったんですが、どうやら近鉄線の次便がすぐに来るらしく、特に散策もしないままホームへ。
このとき(ヤケに浴衣姿のお嬢さんが多いなぁ…地元の夏祭りかなぁ…)と思ってました。
(近鉄線)
河内長野13:47発→古市14:05着
料金:290円
近鉄の河内長野駅→古市駅の間には、富田林駅と喜志駅があり、もし聖徳太子&妹子の墓を観光する場合はここが最寄り駅になります。
車窓から眺めるとおそらく墓のある場所は山手でしたありがとうございました。
古市駅着。
この時点で分かった。今日はP/Lの花火大会だったらしく、だからやけに人手が多かったんだ…。(lll´Д`)
駅のホームに帰りの切符は混雑するので購入しといてくださいなど、ガクブルな文章の羅列が…。
…暗くなる前に帰るから…大丈夫だよね??
これからの行程
古市駅を出発して、各史跡を回り、道明寺駅まで行こうというもの。
古市駅で昼ご飯でも食べようか…と思ってたんですが、花火大会の影響で駅前は人出が凄いよね。
駅前を避け、各史跡にいく道沿いで良さげな店があればそこで食べよう!と出発する。
まずは誉田八幡宮へ。
本日の天気予報では曇り時々雨…ということだったので、折り畳み傘を携帯。
持ち歩きに重くて(-_-)だったけど、この八幡宮へ向かう途中で小雨が降り出し、お役立ちツールに変化。
えへへっ( ´∀`)σ
しばらく歩いて到着。
またまた裏の南大門から入って来たらしく、…これも一種の才能? Σ(´Д` )ハッ! (ちがいます)
誉田八幡宮
応神天皇を祀る。自称「日本最古の八幡宮」(実際にはもっと後に建立されたものとみられる byウィキ
ここは天皇が幼少の頃に居住されていたところらしい。 by公式HP
応神天皇:第15代天皇。皇祖神や武神として祭られている。祖父は日本武尊。
八幡宮→八幡神を祀る神社(八幡神=応神天皇ではないか?と言われている)
ちなみに源氏の氏神は八幡らしい。だから武士に人気の信仰。
ここも豊臣秀頼が再興、普請奉行に片桐且元コンビでやってます。がんばれ!且元っちゃん!
この日は結婚式がありました。
この石橋を渡ると応神天皇陵らしい。立ち入り禁止だけどね。
…それにしてもこの地域は天皇陵が多いなぁ(電車に乗ってるときも、こんもりとした陵が至る所に見えた
分かりやすい様にマーキングしてみました。
…ぞっ、象の墓場?
土地はいっぱいあるのに、どうして一カ所に固めるんだろうね?
八幡宮散策に戻って、馬の象。
日本書紀の雄略天皇紀に誉田で出会った神馬のエピソードがあるそうです。
そして外せないのが誉田林古戦場。
大坂夏の陣の時、大坂方の薄田隼人正がこの境内に布陣して出撃したが、道明寺付近で戦死。
そして正門より出る!
大鳥居の八幡宮の「八」部分が、鳥が向かい合う様なデザインで可愛い。
正門付近の道路はこんな感じで、おもむきがあって素敵。
ここから次の玉手山公園へ向かうべく10分ほど歩いていると、
しとしと降りだった雨脚が急にキツくなる。
…といってる間にどしゃぶり。
折り畳みの傘も折れそうな酷さなので、とりあえず避難できそうな屋根を探す。こりゃスコールだ。 (lll´Д`)
…そして碓井八坂神社を発見。軒先を借りることに。
避難したのが14時半ごろ。
10分経っても、20分経っても、一向に緩まない嵐。雷もバリバリっと鳴ってる…こりゃ近くに落ちてるな…
叩き付ける様な豪雨だから何時間も続かないだろう…と諦めて、木枠の上に三角座りをして回復を待つ。
ぼーっと座って待ってる時に、屋根のありがたさと、家のありがたさを感じる。
壁一枚あるだけでも全然ちがう。嵐で外はめちゃくちゃ怖いよw
昔の旅人なんかは、山中で嵐にあったら大変だっただろうな、とか、
雨具が笠じゃ着物ヌレヌレじゃん! どうしてたのかしら? とか、
脳内細道ごっこを開催。…うぅぅ、そらくん、雷と大雨…こわいよぉ…(´;ω;`)
結局一時間後、嘘の様にからっと雨が上がる。
時計を見ると15時半か…、まだ日没までは時間あるな(でもご飯を食べてる余裕はないな…)と次へ向かう。
田んぼが水没して、鳥が泳いでる…
右写真はイチジクの畑です。ここも水没。
この近辺はイチジク畑が広がっていて、丁度シーズンらしく凄いイチジクの甘い香りが漂ってました。
石川の河川敷を北へ。(公園へ行く為の東側に渡る橋を探す
雨で増水してエラいことになってます。
ちなみにここ石川は、真田幸村隊と伊達政宗隊が激突した場所だそうです。(by 鉄砲対決
ここより4kmほど北へ行くと八尾。(木村重成、長宗我部盛親vs藤堂高虎、井伊直孝
1615年5月6日。
【八尾・若江方面】の部隊は午前5時着陣、
対井伊(9500)だった木村隊(6000)は激戦の末、本隊壊滅、木村重成が戦死。
対藤堂(5000)だった長宗我部隊(5300)は藤堂隊を壊乱させたが、正午頃、木村隊の敗報が届き、大坂城へ撤退。
※藤堂勢および井伊勢はこの戦闘で大きな被害を受け、翌日の天王寺・岡山の戦いの先鋒を辞退せざるをえなくなった。
※長宗我部盛親は八尾の合戦かその後退時に、大損害を受け実質壊滅したと考えられる。事実、翌日の天王寺・岡山の戦いでは盛親は大坂城に留まり、戦闘には参加しなかった。
【道明寺方面】先発部隊の一部(後藤隊 2800)は、午前4時、攻撃を仕掛ける。
対する徳川方は水野隊、堀隊、本多隊、松平隊、伊達隊。(計34300)
小松山を巡り激しい銃撃戦を繰り返したが、正午頃、約8時間もの激闘の末、後藤基次は戦死、部隊は壊滅。
【道明寺方面】先発部隊の残り(薄田隊、明石隊、山川隊 計3600)が、正午頃やっと着陣。
薄田は奮戦したが戦死、残りは道明寺よりやや南に移動した【誉田方面】へ撤退。
【誉田方面】で後発部隊の毛利隊、真田隊(計12000)が合流。壊滅部隊の生き残りを吸収する。
徳川方との混戦の後、両軍立て直しの為、膠着状態へ。
午後2時半頃、八尾・若江の敗報と、各隊退却の命令が大坂城から届く。
真田隊を殿軍とし、午後4時過ぎから順次天王寺方面へ撤退を開始。徳川方は兵の疲弊を理由に追撃はしなかった。
※後藤隊以外の遅参について、濃霧で移動が大幅に遅れた、もともと後藤隊は後続が布陣するまでの捨て駒だった、など諸説がある。
byウィキ
そして翌日の5月7日 天王寺決戦へ。
その真田隊の激戦があった石川を渡り、向かうは玉手山公園(小松山)!
この石川に架かっている玉手橋は鉄製の吊り橋で、国の文化財だそうです。
いざ!玉手山公園! (*`・ω・´)ノ
…と意気込んだはいいが、公園への道は坂道。
てっきり平地にあるもんとばかり思ってたのに…。
平地=近くまで行けばこんもりとした小松山があって分かりやすいのでは!? と思ってたので、案内看板も少なかったので、道があってるのかドキドキしながら進むことに…。
よかった…迷子にならなかった…。
と、公園の入り口に着いたはいいケド、公園内がこれまた急な坂道と階段群。…チーン。
ハァハァと息を切らせながら登るとようやく見えてきたマタベーの碑。
途中で簡易ながら大坂の陣資料館と郷土おもちゃ資料館があったので寄り道。
後藤又兵衛の碑
うぅぅ…またべー… (´;ω;`) ←後藤又兵衛も好き
上に書いた通り、彼は少数で圧倒的大数を相手にこの場所を死守し、そして戦死します。
大坂の陣での戦略の観点から、まず東の徳川方が大坂に入ってくるのに二つの道があり。
それが高槻のある北ルートと、ここ道明寺近辺の南ルート。
ほかは山に囲まれているので、大軍で来ようとすればこの二つしかない。
※Aアイコンは道明寺の位置です
徳川方は河内・大和・紀伊方面より大坂城に迫った為、第一次防衛前線が道明寺ラインとなる。
ここを死守したってよぅ…という気持ちになるが、もうそれは言わないお約束だね。
ここまで来たら最善を尽くすしかない。
そして後藤碑の近くには小林一茶の句碑もあった。
この人も公園内の歴史資料館で少し紹介があったけど、家族に恵まれなかった人生らしい。
大坂の陣の切なさと、小林一茶の悲しさのダブルパンチでへろへろに。
おまけにお腹も空いて、足もしんどいので、お酒を調達。
心底ダウン状態だったので、飲んだら逆にもの凄くハイになりました。
やや浮つきながら石川を再び越えて、16時50分頃に道明寺天満宮着。
道明寺天満宮
もともとは菅原氏・土師氏の祖先に当たり、相撲の祖といわれる野見宿禰の所領地で、土師神社があった。
仏教伝来後、伝承では聖徳太子の発願により土師寺を建立。
平安時代、土師寺には菅原道真のおばが住んでおり、道真も時々この寺を訪れ、この寺のことを「故郷」と詠んだ歌もある。 byウィキ
入り口には閉門17時と書いてあった様に思うんですが、既に閉まってました。
…花火大会の影響?
そして天満宮から少し移動して、道明寺に到着。
「道明寺」と「道明寺天満宮」は違うのですか?
1872年までは同じ境内にあったのですが、神仏分離令により移設しました。
天満宮の境内にはその名残として、菩提樹の木と参道跡が残っています。 by公式HPより
17時を越えていたので、もちろん門は閉まっていました。 (´・ω・`)ショボーン
駅前の商店街でおみやげ用に朝もぎの地元産イチジク購入。
道明寺→近鉄阿倍野橋(P/L花火大会用臨時便)
料金:340円
19時前にあべの(天王寺)に着くと、それはもう凄い人。浴衣ゆかたユカタ…どうやら花火の人出らしい。
よかった…巻き込まれずに帰って来れた…
ホッ…と思いながらも、…あそこも行くか!ということで、天王寺決戦の場所も巡ることに。
うん、そうです。あそこです。
行き道にあった堀越神社。
聖徳太子が四天王寺を創建した際、崇峻天皇を祭神として風光明媚な茶臼山の地に社殿を造営した。 byウィキ
ここでも太子が建てております。…たくさん建てるなぁ。
そして着いたよ、安居神社。
真田幸村終焉の地。
1615年5月7日。
前日の激戦をくぐり抜け道明寺、八尾より引き上げた各部隊は、大坂城に集結する。
天王寺口は真田信繁、毛利勝永など14500。
岡山口は大野治房ら4600。
別働隊として明石全登300。
全軍の後詰として大野治長・七手組の部隊計15000が布陣。
正午頃、火蓋が切られる。
天王寺・岡山合戦は戦国の世最大にして最後の戦いであり、これまでに例を見ない兵力と火力が集中し、大激戦となった。
豊臣軍は多くの将兵を失って午後三時頃には壊滅。
絶望的な状況の中、唯一戦線を維持し続けた毛利勝永の指揮により、豊臣軍は城内に総退却した。
5月7日深夜に大坂城、陥落。
翌日、秀頼は淀殿らとともに勝永に介錯され自害した。
※天王寺合戦は島津家の「薩藩旧記」で「真田日本一の兵、古よりの物語にもこれなき由、徳川方、半分敗北」などと記された。
※ しかし、天王寺・岡山の戦いで活躍したのは、真田信繁だけではなく毛利勝永、大野治房らも活躍している。真田信繁は徳川軍の中を敵中突破しただけであり、 毛利勝永と大野治房は、自軍の数倍もの徳川軍に正面から当たり、壊滅させている。また、真田信繁が強行突破できたのは、快進撃を続けていた毛利勝永隊に徳川軍が集中していたのも一因である。
byウィキ
武士には別名が三つある。もののふ・さむらい・つわものである。
「もののふ」は古代の日本の軍事面を担当した一族「物部氏」にちなんだもので、つまり武力をもって国家に奉仕する者であり、
「さむらい(侍)」は「侍う者」の意味で、武力をもって特定の一族(例えば藤原氏)に奉仕する者のこと、
「つわもの」は兵器(うつわ)を扱うことを専門とする者、武器を扱うプロ集団という側面を強調すれば「つわもの(兵)」になる。
byぐーぐる先生
…だそうなので、兵(つわもの)=戦い方が巧みだったってこと? 侍(豊臣の従者)ではなく、兵。
私は「真田日本一の兵」の【真田】という言葉の意味の中には、
絶望の中、快進撃を続け、散っていった大坂方各将達…という意味も込められていると思いますが。
最寄り駅への行き道に、(確かこの辺にあったよなぁ…)と記憶を頼りに行ってみたら、あったよ閻魔堂。
小さい頃、ここを通るのが凄く怖かったんだ。うん。
場所は安居神社に面している道路を、そのまま西へ。松屋町筋を渡ったとこにあります。
安居神社より徒歩3分ぐらい。
時間が時間だったので閉まってました。閻魔大王は残業はしないみたい。
最寄り駅に向かう途中、そのまま通天閣にも寄ってみる。
街並はすんごいごちゃごちゃしてます。有名串カツ屋に至っては大行列!
このカオス感も、他県の人が来たら楽しいだろうねv
ここから地下鉄に乗り、九度山&道明寺散策はこれにて終了!
おつかれさまでした。
大坂の陣を歩こう! 九度山&道明寺散策レポート
場所のおさらい。ー九度山&道明寺ー
場所のおさらい。ー九度山&道明寺ー
大坂の陣を歩こう! …と銘打っとりますが、結果論でこうなりました。
九度山行きたいなー、近いしなー、でもなー、
…とずっとうだうだだったので、えいっ!行っちゃえ!と。 うん、勢いって大事だね。
九度山は決定したんだけど、折角大阪南部エリアに行くなら、他も回っちゃえ!と持ち前の貧乏性を発揮!
最初に候補に挙がったのは「弘川寺」や「聖徳太子、小野妹子の墓」などがある富田林方面。
しかしながらレンタサイクル屋は駅前に有るらしいけど、地図を注視してると肝心の史跡が高地にあるっぽい。
弘川寺へのバスも本数少ないし、行って帰って次に飛鳥組の墓…となると、時間が読めない。
墓も奥まった場所にあるみたいなんだな。
…う〜ん、としばし考え、最終的に(墓が見たいか?)が争点となり、結果見送りとなりました。
墓よりもその人達が生きてた臭いの染み付いてる場所がいいな…とプランを考え直し、
地図を眺めると道明寺発見。
史跡も歩こう会できる範囲だし、ここに決定!
今回は南海電鉄を使います。

なんば9:24発→九度山10:29着
料金:770円
乗り換えなしの直通で楽だ。
売店でお茶とクッキーを買い、朝食&非常食用に携帯。発車待ちの間もしゃもしゃ。
本日は土曜日ですけど、座席が埋まる程度のはんなりな乗車率。
ぽけーっと小一時間乗ってるだけで、九度山到着!


九度山駅は片側にしか改札がないので、線路を下りて渡ります。まずコレに驚いた。
駅を出たら丁寧な案内板があるので、それで確認。
どうやら小川の道沿いに行けばいいらしい。


これからの行程

九度山のメインストリートは視界から自動車が消えることはなかったくらい、適度な交通量がありました。結構スピードも出してるので注意。
歩道は見ての通り…狭いです!

この狭い歩道をまーっすぐ進むと、やがてGSと真田庵の看板が見えてきます。
その看板に沿って、路地へ進むと…


じゃーん! 真田庵!


史跡的には「善名称院」という名前で、真田昌幸、幸村父子の隠棲屋敷跡として県の史跡に指定。
創建は1741年だそうで、…住んでたままの屋敷ではないんだね。(´・ω・`)
六文銭紋、結び雁金紋、菊紋の3つが扉に彫ってありました。
雷封じの井

幸村が雷をこの井戸へ封じ込めたらしいです。…なんぞそれ。
真田地主大権現


真田昌幸、幸村、大助の御霊を祀っているそうです。
右写真は昌幸の墓らしい。
真田庵の植物達。


松はだいぶと大きかったので、彼らが生きてた時代に既に生えていたかな?と思うんですが、江戸中期の建築だしなぁ…どうだろう?
善名称院

こっちが本館です。
今日は寺の人はお出かけだったみたい。(売店に張り紙がしてあった
そして別館の資料館。
係の人も誰も居ず、電気も消えているので、セルフで換気扇と電気をつけ、
指定された玄関先の箱に入館料200円を入れ、ご自由にお取りくださいのポストカードをひとつ貰い、いざ拝見!
当時の生活っぷりを再現した土間やら、

幸村直筆の書状

直筆系はまじまじと見るよ!
うん、まとまっててバランスが良くて、丸みと涼やかさのある、生真面目な綺麗な字。
でもこの人、…はなから丸い人間ではないなぁ…と。
自己コントロールをしきって臭さを消したような字に見えマス。…ちょっと怖い。
幸村が使った陣幕

簡素でフイタw
木綿の布に、朱肉で丸と四角か…。てっきり赤布に白抜きだと思ってたので、いや、機能的だな…と。
真田昌幸と幸村の肖像画


よく歴史系で見ます、はい。
左:真田三代記(江戸時代著) 中央:幸村使用の水馬の鐙 右:幸村使用の飯盒



左:幸村の書状その2 中央:真田昌幸自作の木彫の犬 右:木彫の犬ドアップ



左:大坂夏の陣で幸村使用の十文字槍 中央:真田紐各種 右:その他の展示物など



幸村の槍を見てたんですケド、…う〜ん、細すぎないかなぁ、と。
槍先が20cmぐらいで、刃の厚さが1cmもない…。(5mmぐらい? ドスじゃなくカッターナイフ的な…
鎧とか革製品プラスの人肉に食い込ませたら、…こう、パキッと折れそう。
それとも、お宝として研ぎ過ぎて細くなったとか?
そしてどうしてここに!?的なお宝。

桃園天皇の装束。
一時間程見て回って、庵より退出。
来たメインストリートを更に西へ進み、慈尊院を目指します。
真田庵の解説版にもあったけど、真田家が住んでいた信州の地形と九度山は似ているらしい。
確かに川がすぐ近くを通ってるんだよなぁ…。(上田城は千曲川が近くを流れてた
故郷と似ている場所を選んだのかな?

そんなことをぼちぼち考えながら、民家がひしめく田舎道を通って、着きましたよ、慈尊院。
(また裏口から入って来たみたい…

ここも世界遺産『紀伊山地の霊場と参詣道』の一部だそうで。
高野山で空海が修行していたとき、空海の母が息子の様子を見に讃岐国から出てきたが、高野山は女人禁制なので
この慈尊院のあった場所に滞在して、弥勒菩薩を篤く信仰していたとか。
そんな訳で空海はひと月に九度(…ぐらい頻繁に)高野山から下りて来て母の様子を訪ねて来たので九度山という地名になったらしい。(なるほど!
母が亡くなったので弥勒菩薩の別名「慈尊」をとって慈尊院と名付けた…らしいです。
その後、空海の母が入滅して本尊に化身したという信仰が盛んになり、
ここは女人結縁の寺、女人の高野山参りはここで…ということで女人高野とも呼ばれている…らしいです。うん。 byウィキ
弥勒堂(重要文化財)

ここに立体おっpいの絵馬が沢山飾ってありました。( ゚∀゚)o彡°
このお堂が空海母の住まいだったそうです。
多宝塔と正門。


このお寺から階段を挟んで丹生官省符神社に繋がっています。


…登るよ、うん。(´・ω・`)
丹生官省符神社



空海が慈尊院を開いた時、ここに丹生都比売明神を勧請したのが始まりだとか。
本殿三棟は国重要文化財。


周りには竹林も広がっていて、風がさわやか〜。
巨木が祀ってありました。
…という訳で、この旅で高野山の入り口まで来たことになりました。

駅への帰り道は紀ノ川沿いの広い道路を通る。
それにしても南海電車でなんばからここまで来て、この高野山までの筋は拓けていることに驚いた。
他の地方へは小一時間も進むと、すぐ田んぼとか山とか、人口密度の低い風景が広がるのに、
大坂ー高野山ラインはみっしり民家…というか。
それだけ高野山への道は主要道路ってことなのかな?(同じ霊山でも吉野とは違うなぁ…
歩いてぼちぼち九度山駅まで戻り、タイムテーブルが1時間に2本程なので、電車が来るまで駅で朝に買ったお菓子を食べる。お昼ごはんはどの場所で食べようかなー。(・3・)
つぎにすすむ
九度山行きたいなー、近いしなー、でもなー、
…とずっとうだうだだったので、えいっ!行っちゃえ!と。 うん、勢いって大事だね。
九度山は決定したんだけど、折角大阪南部エリアに行くなら、他も回っちゃえ!と持ち前の貧乏性を発揮!
最初に候補に挙がったのは「弘川寺」や「聖徳太子、小野妹子の墓」などがある富田林方面。
しかしながらレンタサイクル屋は駅前に有るらしいけど、地図を注視してると肝心の史跡が高地にあるっぽい。
弘川寺へのバスも本数少ないし、行って帰って次に飛鳥組の墓…となると、時間が読めない。
墓も奥まった場所にあるみたいなんだな。
…う〜ん、としばし考え、最終的に(墓が見たいか?)が争点となり、結果見送りとなりました。
墓よりもその人達が生きてた臭いの染み付いてる場所がいいな…とプランを考え直し、
地図を眺めると道明寺発見。
史跡も歩こう会できる範囲だし、ここに決定!
今回は南海電鉄を使います。
なんば9:24発→九度山10:29着
料金:770円
乗り換えなしの直通で楽だ。
売店でお茶とクッキーを買い、朝食&非常食用に携帯。発車待ちの間もしゃもしゃ。
本日は土曜日ですけど、座席が埋まる程度のはんなりな乗車率。
ぽけーっと小一時間乗ってるだけで、九度山到着!
九度山駅は片側にしか改札がないので、線路を下りて渡ります。まずコレに驚いた。
駅を出たら丁寧な案内板があるので、それで確認。
どうやら小川の道沿いに行けばいいらしい。
これからの行程
九度山のメインストリートは視界から自動車が消えることはなかったくらい、適度な交通量がありました。結構スピードも出してるので注意。
歩道は見ての通り…狭いです!
この狭い歩道をまーっすぐ進むと、やがてGSと真田庵の看板が見えてきます。
その看板に沿って、路地へ進むと…
じゃーん! 真田庵!
史跡的には「善名称院」という名前で、真田昌幸、幸村父子の隠棲屋敷跡として県の史跡に指定。
創建は1741年だそうで、…住んでたままの屋敷ではないんだね。(´・ω・`)
六文銭紋、結び雁金紋、菊紋の3つが扉に彫ってありました。
雷封じの井
幸村が雷をこの井戸へ封じ込めたらしいです。…なんぞそれ。
真田地主大権現
真田昌幸、幸村、大助の御霊を祀っているそうです。
右写真は昌幸の墓らしい。
真田庵の植物達。
松はだいぶと大きかったので、彼らが生きてた時代に既に生えていたかな?と思うんですが、江戸中期の建築だしなぁ…どうだろう?
善名称院
こっちが本館です。
今日は寺の人はお出かけだったみたい。(売店に張り紙がしてあった
そして別館の資料館。
係の人も誰も居ず、電気も消えているので、セルフで換気扇と電気をつけ、
指定された玄関先の箱に入館料200円を入れ、ご自由にお取りくださいのポストカードをひとつ貰い、いざ拝見!
当時の生活っぷりを再現した土間やら、
幸村直筆の書状
直筆系はまじまじと見るよ!
うん、まとまっててバランスが良くて、丸みと涼やかさのある、生真面目な綺麗な字。
でもこの人、…はなから丸い人間ではないなぁ…と。
自己コントロールをしきって臭さを消したような字に見えマス。…ちょっと怖い。
幸村が使った陣幕
簡素でフイタw
木綿の布に、朱肉で丸と四角か…。てっきり赤布に白抜きだと思ってたので、いや、機能的だな…と。
真田昌幸と幸村の肖像画
よく歴史系で見ます、はい。
左:真田三代記(江戸時代著) 中央:幸村使用の水馬の鐙 右:幸村使用の飯盒
左:幸村の書状その2 中央:真田昌幸自作の木彫の犬 右:木彫の犬ドアップ
左:大坂夏の陣で幸村使用の十文字槍 中央:真田紐各種 右:その他の展示物など
幸村の槍を見てたんですケド、…う〜ん、細すぎないかなぁ、と。
槍先が20cmぐらいで、刃の厚さが1cmもない…。(5mmぐらい? ドスじゃなくカッターナイフ的な…
鎧とか革製品プラスの人肉に食い込ませたら、…こう、パキッと折れそう。
それとも、お宝として研ぎ過ぎて細くなったとか?
そしてどうしてここに!?的なお宝。
桃園天皇の装束。
一時間程見て回って、庵より退出。
来たメインストリートを更に西へ進み、慈尊院を目指します。
真田庵の解説版にもあったけど、真田家が住んでいた信州の地形と九度山は似ているらしい。
確かに川がすぐ近くを通ってるんだよなぁ…。(上田城は千曲川が近くを流れてた
故郷と似ている場所を選んだのかな?
そんなことをぼちぼち考えながら、民家がひしめく田舎道を通って、着きましたよ、慈尊院。
(また裏口から入って来たみたい…
ここも世界遺産『紀伊山地の霊場と参詣道』の一部だそうで。
高野山で空海が修行していたとき、空海の母が息子の様子を見に讃岐国から出てきたが、高野山は女人禁制なので
この慈尊院のあった場所に滞在して、弥勒菩薩を篤く信仰していたとか。
そんな訳で空海はひと月に九度(…ぐらい頻繁に)高野山から下りて来て母の様子を訪ねて来たので九度山という地名になったらしい。(なるほど!
母が亡くなったので弥勒菩薩の別名「慈尊」をとって慈尊院と名付けた…らしいです。
その後、空海の母が入滅して本尊に化身したという信仰が盛んになり、
ここは女人結縁の寺、女人の高野山参りはここで…ということで女人高野とも呼ばれている…らしいです。うん。 byウィキ
弥勒堂(重要文化財)
ここに立体おっpいの絵馬が沢山飾ってありました。( ゚∀゚)o彡°
このお堂が空海母の住まいだったそうです。
多宝塔と正門。
このお寺から階段を挟んで丹生官省符神社に繋がっています。
…登るよ、うん。(´・ω・`)
丹生官省符神社
空海が慈尊院を開いた時、ここに丹生都比売明神を勧請したのが始まりだとか。
本殿三棟は国重要文化財。
周りには竹林も広がっていて、風がさわやか〜。
巨木が祀ってありました。
…という訳で、この旅で高野山の入り口まで来たことになりました。
駅への帰り道は紀ノ川沿いの広い道路を通る。
それにしても南海電車でなんばからここまで来て、この高野山までの筋は拓けていることに驚いた。
他の地方へは小一時間も進むと、すぐ田んぼとか山とか、人口密度の低い風景が広がるのに、
大坂ー高野山ラインはみっしり民家…というか。
それだけ高野山への道は主要道路ってことなのかな?(同じ霊山でも吉野とは違うなぁ…
歩いてぼちぼち九度山駅まで戻り、タイムテーブルが1時間に2本程なので、電車が来るまで駅で朝に買ったお菓子を食べる。お昼ごはんはどの場所で食べようかなー。(・3・)
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霊山に行こう! 吉野散策レポート
場所のおさらい。ー吉野ー
場所のおさらい。ー吉野ー
ことの発端はまたもや自分の思い付き。
大阪にながーいこと住んでるのに、近畿圏の名所で行ってないとこが結構あって。
折角行きやすい土地にいるのだから、行っとくべし!な場所はどこかな?と知恵を絞ったところ、「熊野古道」という解がでました。
そして家族女衆3人で熊野古道ツアーに申し込もう!としてたところ、
互いの予定をすり合わせてたら人員満了になってしまったので、代替案を考える。
熊野古道関係のウェブを見ていると、
どうやら吉野・大峯も世界遺産の「紀伊山地の霊場と参詣道」に入っているらしいです。
…これは熊野古道でなくても、世界遺産アタックチャンスか!?
ということで、代替案に吉野を提出。見事、可決。
はい、今回は『紀伊山地の霊場と参詣道』吉野へ行ってきました!
吉野へ決まったら、プラン練り。ネットを徘徊して楽&見所プランをねる。
前日、インテックスから帰ってきたら、電車の時刻表を検索して、
時間を最終決定。
またまた近鉄線をご利用しますよ〜。(。+・`ω・´)シャキーン
なんば8:35発→上本町8:38着
(乗り換え)上本町8:52発→大和八木9:25着
(乗り換え)大和八木9:28発→橿原神宮前9:33着
(乗り換え)橿原神宮前10:00発→吉野10:53着
<料金>
なんば→吉野 1010円
なんば駅で予定より早い便に乗れたので、上本町駅のホーム内喫茶で朝食をば。
モーニング・ホットドックセット。(400円

乗り換えの為、10分ほどしかないので急いで食べる。
大和八木駅の接続で、またまた予定より早い便に乗れたので、橿原神宮前駅にて30分ほど自由タイム。
…それならここでゆっくりモーニングを食べれたのにぃ!
駅で吉野のパンフレット&地図を見繕い、ドトールに入って検討。
(近鉄のぶらり沿線散策マップは見やすくて、地図もついてて便利!超お勧め!
(ここで私以外の二人は勧めてもパンフを取らなかった…えっ、my地図いらないの? ←嫌な予感
時間になったのでホームへ。ここから小一時間乗ります。
電車でおしゃべりしてたら、吉野駅到着。


駅前からロープウェイに3分ほど乗って吉野山駅まで行く手もあるけど、
歩いても20〜30分ほどだそうなので、歩くプランを立ててきたのだ。
(今から思えばこれが失敗だった…
山頂の吉野山駅からはコミュニティバスが出ていて、それで一気に山奥の奥千本口バス停まで行き、
観光しながら下山する方法(徒歩2時間ほど)が楽…だとネットで仕入れたので、そうしよう(・∀・)と。
このバスが過疎便で、11:40発を逃すと13:40発まで待つことになるのだ。
歩き時間にだいぶ余裕を持たせたので、…大丈夫だよね?
吉野駅前。やはり観光地らしく、駅前は華やか〜!
写真に変な色が映り込んでるけど、気にしない〜(肉眼ではピンク靄的なものなかったのに…
ご当地ソフトクリーム。上がよもぎ味、下が桜味。(250円
この桜味がおいしかった!


結果だけ言うと、この後山登り紀行が始まる(笑)。
一人旅だと売店の人や看板で充分確認するんだけど、同行者がいたので緩んでいたというか…。
多数決になった場合、確執的なのがめんどいので引っ込むというか…。
吉野の駅前よりすぐのロープウェイ代わりのハイキングコースに向かう時、
分かれ道になっててね…うん…
ひとつは細い田舎道、
ひとつは立派な国道、
こっちじゃないの?と細道を指したら、後の二人はこっちでしょ!と国道に進んでったから(まぁ…いいか…)と思ったのが運の尽き。
がっちり違う道を選んでました…。
結果、こういう道のりに。
予定のプラン:緑→歩き部分、ピンク→バス利用部分 現実:紫→歩き部分、黄緑→山道部分

(´Д⊂
こういう緩い坂道(あっ、吉野駅から先はほぼ坂道です)を30分ほど進んでも、
一向にロープウェイの吉野山駅に着かない…。
っていうか…もうバスの時間…ない…(次便は2時間後…
…道…間違ったんじゃ… (゚Д゚;)アワワワワ(ここで気づく…というか確信する)

道沿いにあった野生のほおずき、野生のくり。


後の二人に道を間違えてることを告げて、バスも乗り逃したことを告げる。
国道部分も行程の半分ぐらいまで来てしまっていたので、しかたがないのでこのまま歩いて行くことに。

日陰は涼しいんだけど、日向は暑い!
緩い坂道をずっと上ってるので、全員汗ダクダク。…一応全員に登山ルックを推奨してきてよかった…。
しばらく歩くと太閤花見塚を発見。
…ネット散策をしてここ知ってたけど、楽プランを組む時(こんなとこ行かないよ…ははっワロス
って真っ先に切り捨てたのに…


花見塚広場へは、国道から横道の獣道をいかなきゃならんそうで、
後の二人は行かない!と休憩モードに入ったので、一人で散策することに。

ちなみに小道の左側は崖だよ
この先はさらに草が生え放題で、最後には道を封鎖している薮をかき分けて階段を上る。
まるで佐和山の道程を思い出すなぁ…。
小道の確保や、土で作った階段、花見広場にはベンチまであったので、
桜シーズンには整備されてるのかも。今は荒れ放題状態。
10分強進んで、到着。



現地に着いて景色をみたら、すぐに戻って休憩中の二人と合流。

ここで12時になりました。(ということは駅からここまで2時間歩き…
また少し歩くと、国道沿いに小判井戸発見。



太閤花見の時に茶の湯の水にしたそうです。
柄杓がセットされていたので、酌んで手や顔を洗い、汗を落とす。ひゃぁ〜冷た〜い〜!
またまたしばらく歩いて、国道沿いに如意輪寺用の駐車場を発見。
どうやら国道の旅はここまでのよう。

階段を下りて行って、寺に向かうと…

如意輪寺


裏口から入ってきたようで…。(写真は正門入り口
日蔵道賢上人の建立、南北朝時代後醍醐天皇の勅願寺、1346年に楠木正行(正成の長男)が四條畷の戦(足利尊氏軍との戦)に際し、最後の戦いとの覚悟の 上、本堂(如意輪堂)に詣で正面の扉に鏃(矢の先)で辞世「かえらじと かねておもへば梓弓 なき数に入る名をぞとどむる」と刻んで出陣をした。
…そうです。はい。
この寺内から階段を上ると、後醍醐天皇陵にも繋がってマス。



後醍醐天皇
1300年代を生きた人。
貴族天皇一族内の権力抗争下、天皇になったものの自身が傀儡扱いで不満爆発、
裏から天皇家を操る鎌倉幕府倒幕を計画する。
その後、圧力をかけられ三種の神器を持って都より逃亡。
楠木正成ら反幕府の人材を得て挙兵。対する幕府側は足利尊氏らを派遣したが尊氏が寝返り、逆に幕府を滅ぼす。
やっと復権した天皇はいろいろ制度を整えるが、現実無視のドリーマー政策だった為、周りに総スカンを喰らい、すったもんだの末、また三種の神器を持って都より逃亡。
「神器を持ってるから自分が正統だ!」と吉野で朝廷を開いたが、しばらくして病死。
寺を見た後、さらに奥のバスで行く予定だった場所を目指す為、最短距離のハイキングコースに突入。
…振り返ってみるとこのハイキングコース、整備されてない場所(某佐和山)にありがちな「ハイキング」の定義を疑う様な道のりだった。
稚児松地蔵経由、吉野水分神社を目指す。



道はコンクリなどで整備されてるんだけど、どんどん勾配がキツくなってくる。
草もしばらく刈ってないのか、伸び放題で歩きにくい…。
稚児松地蔵到着。

はぁはぁ言いながら、ここで水分休憩。
休憩も終わり、さらに進んで行くけど…ここからが酷かった。

ほぼ階段でした、ありがとうございました。
写真を撮る心的余裕もなし。 (lll´Д`)
草は伸び放題、そして終わりの見えない階段地獄が続いていく…。
小一時間ハイキング?コースを進むと、ようやく生活道路に出てきた…。
このとき、コンクリと人家の景色がありがた過ぎて叫びたくなった。
吉野水分神社の近くのお茶屋さんで休憩。
冷たいお冷やが出てきたときも、うれしすぎて泣きそうになった。
上左:くずしるこ、上右:くずもち、下:くずきり



私はくずきりをチョイス。
くずきりの入ってる汁がゆず味の優しい甘さの蜜で、ごくごく飲み干す。…ううぅおいしい。
お茶は梅茶。しかもあられと金粉入り。…ううぅおいしい。
民家を改造した様なアットホームなお茶屋さんで、セットで一人500円もいかなかったと思う。
…超おすすめデス。
吉野水分神社(よしのみくまりじんじゃ)



ザ・世界遺産。
社殿は重要文化財。
天之水分大神を主神とする、お水の神様。
「みくまり→みごもり」という語呂合わせで、子宝の神様としても信仰されてるらしいです。
社殿は1604年豊臣秀頼の再建で、またか…秀頼…。
御神輿は秀頼が寄進した現物ものらしく、縁側にほいっ!と置いてあって間近で見放題でした。
お茶屋さんでの聞き込み調査で、
この先の金峯神社&西行庵への距離や、バスの時間、下山の道などを情報収集して計画修正。
この先、奥千本口(当初バスで着く予定だった場所)までは地元の人の足で40分ぐらい、
下山を考えるとこれも地元の人の足で小一時間。(ちなみに舗装はずっとされた道を歩けるらしい
バスは過疎便すぎて正直時間が分からない。(オフィシャルHPなし
「桜シーズンだと17時ぐらいまであるんだけどね、たぶん15時過ぎが最終便だと思うよ…」と助言をもらい、時計を見るとただ今14時15分。
…。
(もし上まで行ってバスを逃すと、もう心が折れる…
今までの道と、これからの道

下山方向のバス停位置を聞き、バスを考慮に入れつつ、ぶらぶら観光しながら山を下りることに。
下りは景色を楽しみながら進む。
…ううっ、綺麗だ。


…これは…もう観光じゃなく登山といってもいいだろうか…

つい今しがた山道をやってきた奴らにとっては、この人造的舗装はとても嬉しい。
この辺はまだ下りの勾配が急で、民家がポツポツという感じ。
竹林院


聖徳太子が黒駒に乗ってやってきて建て、椿山寺(ちんざんじ)と名付け、
後に空海が入峰の際に滞在して、常楽寺椿山(じょうらくじちんざん)と号し、
ここの庭園を太閤花見の際に、千利休が手入れをしたそうです。
この辺りから観光地らしくなってくる。
沿道にはお土産屋が並び、勾配も緩くなってくる。人にもそこそこ出会う…
土産物屋を覗きながら、密集する史跡をぶらぶら見学する。
桜本坊


元々は金峯山寺の塔頭だった場所だそうです。
天武天皇&持統天皇夫婦の勅願で建てたらしく、理由は吉夢を見たから。
671年、近江の兄天智天皇の元から逃げ出した大海人皇子(後の天武天皇)は、「桜本坊」の前身、 日雄離宮にとどまっていた時、桜が咲き誇っている夢を見ました。そこで占わせると「桜の花は花の王と云われています。これは、皇子が必ず皇位に着く知らせ です」と答え、後に壬申の乱に勝ち皇位に着いた天武天皇は、桜の花が咲いていた所にお寺を建立し、勅願寺として名を「桜本坊」としました。 byぐーぐ る先生
勝手神社

ただいま立ち入り禁止だそうです。
1604年に秀頼がまたまた再興してます。1644年、1767年、2001年にそれぞれ焼失。…何回焼けるんだ(汗
鎌倉幕府お尋ね者、絶賛逃亡中の源義経と静御前がここ吉野に隠れ住んでいたが、政局が変わり天皇も反義経になってしまった為、妻とはここで別れ京へ行く様路銀を渡した。が、護衛の部下が路銀をぱちり逃走。この辺で静御前は捕縛されたそうです。 by吾妻鏡
祭神は愛鬘命(うけのりかみのみこと)。仏名は毘沙門天。
吉水神社(よしみずじんじゃ)




ザ・世界遺産。
650年辺り、役行者の創建(伝)。
後醍醐天皇が作った南朝の大本営(皇居)がここだそうです。this is 南朝.
ちなみに太閤花見の時の本陣がここ。
右上写真は一目千本といって、この(春の)景色を見て秀吉が「絶景じゃ!絶景じゃ!」と大声をあげてはしゃいだそうです。
ちなみに吉水神社へ行ったのは自分一人でした。
後の二人は「階段を上り下りしたくない!」(メイン道路からちょっと離れてる)と、お茶屋で休憩タイム。

見終わった後合流して、私もお茶タイム。
葛餅と抹茶。このセットは800円ぐらいだったと思う。
金峯山寺蔵王堂


ザ・世界遺産。
白鳳年間に役行者がここで金剛蔵王大権現(修験道独特の本尊)を感得し、祭祀したのが始まりだとか。
修験道の総本山がここ。
うおっ!っと思う程、建物がデカイです。はい。(高さ約34mで木造建築では東大寺大仏殿に次ぐNo2
上に置いたデカ景色写真にも、ばっちり映ってます。
金峯山寺の仁王門

1455年再建。
金峯山寺よりすこし下って行くと、離れてあります。これも国宝。
吉野ロープウェイ

ロープウェイ乗り場へ着いたのが16時ごろ。
現存する、日本最古のロープウェイだそうです。
次便は16:20だったので、中に入って座って待ってました。
ハコの中から…もう下の駅が見えるよ…。近っ!
乗車時間は3分程で、片道350円。
吉野駅には16時30分ぐらいに到着。うぅぅ…まさかこのような旅になるとは…。
振り返ってみると、
ゆったりプラン「ぶらぶら世界遺産の旅」が、
「太閤花見の史跡を巡るツアー」に変わってたという…
追加データ。
標高:吉野駅 223.52m → 吉野水分神社 597.28m → 金峯神社 755.33m(行かなくてよかった…)
(デジタル標高データツール使用
がっちり登山修行をしてきますたよ…。
花見客だった武将達も、めんどくさかっただろうな…。
あー今回も西行関連…行けなかった…。
吉野16:38発→大阪阿部野橋18:12着
<料金>
吉野→大阪阿部野橋 950円
乗り換えなしの急行に乗って、くたくた部隊は大阪へ帰っていきましたとさ。
おつかれさまでした。
大阪にながーいこと住んでるのに、近畿圏の名所で行ってないとこが結構あって。
折角行きやすい土地にいるのだから、行っとくべし!な場所はどこかな?と知恵を絞ったところ、「熊野古道」という解がでました。
そして家族女衆3人で熊野古道ツアーに申し込もう!としてたところ、
互いの予定をすり合わせてたら人員満了になってしまったので、代替案を考える。
熊野古道関係のウェブを見ていると、
どうやら吉野・大峯も世界遺産の「紀伊山地の霊場と参詣道」に入っているらしいです。
…これは熊野古道でなくても、世界遺産アタックチャンスか!?
ということで、代替案に吉野を提出。見事、可決。
はい、今回は『紀伊山地の霊場と参詣道』吉野へ行ってきました!
吉野へ決まったら、プラン練り。ネットを徘徊して楽&見所プランをねる。
前日、インテックスから帰ってきたら、電車の時刻表を検索して、
時間を最終決定。
またまた近鉄線をご利用しますよ〜。(。+・`ω・´)シャキーン
なんば8:35発→上本町8:38着
(乗り換え)上本町8:52発→大和八木9:25着
(乗り換え)大和八木9:28発→橿原神宮前9:33着
(乗り換え)橿原神宮前10:00発→吉野10:53着
<料金>
なんば→吉野 1010円
なんば駅で予定より早い便に乗れたので、上本町駅のホーム内喫茶で朝食をば。
モーニング・ホットドックセット。(400円
乗り換えの為、10分ほどしかないので急いで食べる。
大和八木駅の接続で、またまた予定より早い便に乗れたので、橿原神宮前駅にて30分ほど自由タイム。
…それならここでゆっくりモーニングを食べれたのにぃ!
駅で吉野のパンフレット&地図を見繕い、ドトールに入って検討。
(近鉄のぶらり沿線散策マップは見やすくて、地図もついてて便利!超お勧め!
(ここで私以外の二人は勧めてもパンフを取らなかった…えっ、my地図いらないの? ←嫌な予感
時間になったのでホームへ。ここから小一時間乗ります。
電車でおしゃべりしてたら、吉野駅到着。
駅前からロープウェイに3分ほど乗って吉野山駅まで行く手もあるけど、
歩いても20〜30分ほどだそうなので、歩くプランを立ててきたのだ。
(今から思えばこれが失敗だった…
山頂の吉野山駅からはコミュニティバスが出ていて、それで一気に山奥の奥千本口バス停まで行き、
観光しながら下山する方法(徒歩2時間ほど)が楽…だとネットで仕入れたので、そうしよう(・∀・)と。
このバスが過疎便で、11:40発を逃すと13:40発まで待つことになるのだ。
歩き時間にだいぶ余裕を持たせたので、…大丈夫だよね?
吉野駅前。やはり観光地らしく、駅前は華やか〜!
写真に変な色が映り込んでるけど、気にしない〜(肉眼ではピンク靄的なものなかったのに…
ご当地ソフトクリーム。上がよもぎ味、下が桜味。(250円
この桜味がおいしかった!
結果だけ言うと、この後山登り紀行が始まる(笑)。
一人旅だと売店の人や看板で充分確認するんだけど、同行者がいたので緩んでいたというか…。
多数決になった場合、確執的なのがめんどいので引っ込むというか…。
吉野の駅前よりすぐのロープウェイ代わりのハイキングコースに向かう時、
分かれ道になっててね…うん…
ひとつは細い田舎道、
ひとつは立派な国道、
こっちじゃないの?と細道を指したら、後の二人はこっちでしょ!と国道に進んでったから(まぁ…いいか…)と思ったのが運の尽き。
がっちり違う道を選んでました…。
結果、こういう道のりに。
予定のプラン:緑→歩き部分、ピンク→バス利用部分 現実:紫→歩き部分、黄緑→山道部分
(´Д⊂
こういう緩い坂道(あっ、吉野駅から先はほぼ坂道です)を30分ほど進んでも、
一向にロープウェイの吉野山駅に着かない…。
っていうか…もうバスの時間…ない…(次便は2時間後…
…道…間違ったんじゃ… (゚Д゚;)アワワワワ(ここで気づく…というか確信する)
道沿いにあった野生のほおずき、野生のくり。
後の二人に道を間違えてることを告げて、バスも乗り逃したことを告げる。
国道部分も行程の半分ぐらいまで来てしまっていたので、しかたがないのでこのまま歩いて行くことに。
日陰は涼しいんだけど、日向は暑い!
緩い坂道をずっと上ってるので、全員汗ダクダク。…一応全員に登山ルックを推奨してきてよかった…。
しばらく歩くと太閤花見塚を発見。
…ネット散策をしてここ知ってたけど、楽プランを組む時(こんなとこ行かないよ…ははっワロス
って真っ先に切り捨てたのに…
花見塚広場へは、国道から横道の獣道をいかなきゃならんそうで、
後の二人は行かない!と休憩モードに入ったので、一人で散策することに。
ちなみに小道の左側は崖だよ
この先はさらに草が生え放題で、最後には道を封鎖している薮をかき分けて階段を上る。
まるで佐和山の道程を思い出すなぁ…。
小道の確保や、土で作った階段、花見広場にはベンチまであったので、
桜シーズンには整備されてるのかも。今は荒れ放題状態。
10分強進んで、到着。
現地に着いて景色をみたら、すぐに戻って休憩中の二人と合流。
ここで12時になりました。(ということは駅からここまで2時間歩き…
また少し歩くと、国道沿いに小判井戸発見。
太閤花見の時に茶の湯の水にしたそうです。
柄杓がセットされていたので、酌んで手や顔を洗い、汗を落とす。ひゃぁ〜冷た〜い〜!
またまたしばらく歩いて、国道沿いに如意輪寺用の駐車場を発見。
どうやら国道の旅はここまでのよう。
階段を下りて行って、寺に向かうと…
如意輪寺
裏口から入ってきたようで…。(写真は正門入り口
日蔵道賢上人の建立、南北朝時代後醍醐天皇の勅願寺、1346年に楠木正行(正成の長男)が四條畷の戦(足利尊氏軍との戦)に際し、最後の戦いとの覚悟の 上、本堂(如意輪堂)に詣で正面の扉に鏃(矢の先)で辞世「かえらじと かねておもへば梓弓 なき数に入る名をぞとどむる」と刻んで出陣をした。
…そうです。はい。
この寺内から階段を上ると、後醍醐天皇陵にも繋がってマス。
後醍醐天皇
1300年代を生きた人。
貴族天皇一族内の権力抗争下、天皇になったものの自身が傀儡扱いで不満爆発、
裏から天皇家を操る鎌倉幕府倒幕を計画する。
その後、圧力をかけられ三種の神器を持って都より逃亡。
楠木正成ら反幕府の人材を得て挙兵。対する幕府側は足利尊氏らを派遣したが尊氏が寝返り、逆に幕府を滅ぼす。
やっと復権した天皇はいろいろ制度を整えるが、現実無視のドリーマー政策だった為、周りに総スカンを喰らい、すったもんだの末、また三種の神器を持って都より逃亡。
「神器を持ってるから自分が正統だ!」と吉野で朝廷を開いたが、しばらくして病死。
寺を見た後、さらに奥のバスで行く予定だった場所を目指す為、最短距離のハイキングコースに突入。
…振り返ってみるとこのハイキングコース、整備されてない場所(某佐和山)にありがちな「ハイキング」の定義を疑う様な道のりだった。
稚児松地蔵経由、吉野水分神社を目指す。
道はコンクリなどで整備されてるんだけど、どんどん勾配がキツくなってくる。
草もしばらく刈ってないのか、伸び放題で歩きにくい…。
稚児松地蔵到着。
はぁはぁ言いながら、ここで水分休憩。
休憩も終わり、さらに進んで行くけど…ここからが酷かった。
ほぼ階段でした、ありがとうございました。
写真を撮る心的余裕もなし。 (lll´Д`)
草は伸び放題、そして終わりの見えない階段地獄が続いていく…。
小一時間ハイキング?コースを進むと、ようやく生活道路に出てきた…。
このとき、コンクリと人家の景色がありがた過ぎて叫びたくなった。
吉野水分神社の近くのお茶屋さんで休憩。
冷たいお冷やが出てきたときも、うれしすぎて泣きそうになった。
上左:くずしるこ、上右:くずもち、下:くずきり
私はくずきりをチョイス。
くずきりの入ってる汁がゆず味の優しい甘さの蜜で、ごくごく飲み干す。…ううぅおいしい。
お茶は梅茶。しかもあられと金粉入り。…ううぅおいしい。
民家を改造した様なアットホームなお茶屋さんで、セットで一人500円もいかなかったと思う。
…超おすすめデス。
吉野水分神社(よしのみくまりじんじゃ)
ザ・世界遺産。
社殿は重要文化財。
天之水分大神を主神とする、お水の神様。
「みくまり→みごもり」という語呂合わせで、子宝の神様としても信仰されてるらしいです。
社殿は1604年豊臣秀頼の再建で、またか…秀頼…。
御神輿は秀頼が寄進した現物ものらしく、縁側にほいっ!と置いてあって間近で見放題でした。
お茶屋さんでの聞き込み調査で、
この先の金峯神社&西行庵への距離や、バスの時間、下山の道などを情報収集して計画修正。
この先、奥千本口(当初バスで着く予定だった場所)までは地元の人の足で40分ぐらい、
下山を考えるとこれも地元の人の足で小一時間。(ちなみに舗装はずっとされた道を歩けるらしい
バスは過疎便すぎて正直時間が分からない。(オフィシャルHPなし
「桜シーズンだと17時ぐらいまであるんだけどね、たぶん15時過ぎが最終便だと思うよ…」と助言をもらい、時計を見るとただ今14時15分。
…。
(もし上まで行ってバスを逃すと、もう心が折れる…
今までの道と、これからの道
下山方向のバス停位置を聞き、バスを考慮に入れつつ、ぶらぶら観光しながら山を下りることに。
下りは景色を楽しみながら進む。
…ううっ、綺麗だ。
…これは…もう観光じゃなく登山といってもいいだろうか…
つい今しがた山道をやってきた奴らにとっては、この人造的舗装はとても嬉しい。
この辺はまだ下りの勾配が急で、民家がポツポツという感じ。
竹林院
聖徳太子が黒駒に乗ってやってきて建て、椿山寺(ちんざんじ)と名付け、
後に空海が入峰の際に滞在して、常楽寺椿山(じょうらくじちんざん)と号し、
ここの庭園を太閤花見の際に、千利休が手入れをしたそうです。
この辺りから観光地らしくなってくる。
沿道にはお土産屋が並び、勾配も緩くなってくる。人にもそこそこ出会う…
土産物屋を覗きながら、密集する史跡をぶらぶら見学する。
桜本坊
元々は金峯山寺の塔頭だった場所だそうです。
天武天皇&持統天皇夫婦の勅願で建てたらしく、理由は吉夢を見たから。
671年、近江の兄天智天皇の元から逃げ出した大海人皇子(後の天武天皇)は、「桜本坊」の前身、 日雄離宮にとどまっていた時、桜が咲き誇っている夢を見ました。そこで占わせると「桜の花は花の王と云われています。これは、皇子が必ず皇位に着く知らせ です」と答え、後に壬申の乱に勝ち皇位に着いた天武天皇は、桜の花が咲いていた所にお寺を建立し、勅願寺として名を「桜本坊」としました。 byぐーぐ る先生
勝手神社
ただいま立ち入り禁止だそうです。
1604年に秀頼がまたまた再興してます。1644年、1767年、2001年にそれぞれ焼失。…何回焼けるんだ(汗
鎌倉幕府お尋ね者、絶賛逃亡中の源義経と静御前がここ吉野に隠れ住んでいたが、政局が変わり天皇も反義経になってしまった為、妻とはここで別れ京へ行く様路銀を渡した。が、護衛の部下が路銀をぱちり逃走。この辺で静御前は捕縛されたそうです。 by吾妻鏡
祭神は愛鬘命(うけのりかみのみこと)。仏名は毘沙門天。
吉水神社(よしみずじんじゃ)
ザ・世界遺産。
650年辺り、役行者の創建(伝)。
後醍醐天皇が作った南朝の大本営(皇居)がここだそうです。this is 南朝.
ちなみに太閤花見の時の本陣がここ。
右上写真は一目千本といって、この(春の)景色を見て秀吉が「絶景じゃ!絶景じゃ!」と大声をあげてはしゃいだそうです。
ちなみに吉水神社へ行ったのは自分一人でした。
後の二人は「階段を上り下りしたくない!」(メイン道路からちょっと離れてる)と、お茶屋で休憩タイム。
見終わった後合流して、私もお茶タイム。
葛餅と抹茶。このセットは800円ぐらいだったと思う。
金峯山寺蔵王堂
ザ・世界遺産。
白鳳年間に役行者がここで金剛蔵王大権現(修験道独特の本尊)を感得し、祭祀したのが始まりだとか。
修験道の総本山がここ。
うおっ!っと思う程、建物がデカイです。はい。(高さ約34mで木造建築では東大寺大仏殿に次ぐNo2
上に置いたデカ景色写真にも、ばっちり映ってます。
金峯山寺の仁王門
1455年再建。
金峯山寺よりすこし下って行くと、離れてあります。これも国宝。
吉野ロープウェイ
ロープウェイ乗り場へ着いたのが16時ごろ。
現存する、日本最古のロープウェイだそうです。
次便は16:20だったので、中に入って座って待ってました。
ハコの中から…もう下の駅が見えるよ…。近っ!
乗車時間は3分程で、片道350円。
吉野駅には16時30分ぐらいに到着。うぅぅ…まさかこのような旅になるとは…。
振り返ってみると、
ゆったりプラン「ぶらぶら世界遺産の旅」が、
「太閤花見の史跡を巡るツアー」に変わってたという…
追加データ。
標高:吉野駅 223.52m → 吉野水分神社 597.28m → 金峯神社 755.33m(行かなくてよかった…)
(デジタル標高データツール使用
がっちり登山修行をしてきますたよ…。
花見客だった武将達も、めんどくさかっただろうな…。
あー今回も西行関連…行けなかった…。
吉野16:38発→大阪阿部野橋18:12着
<料金>
吉野→大阪阿部野橋 950円
乗り換えなしの急行に乗って、くたくた部隊は大阪へ帰っていきましたとさ。
おつかれさまでした。
古墳と触れよう! 飛鳥散策レポート2
(つづき)
時間はただいま、お昼12時過ぎ。
ごはんの時間だよ…(クーラーの効いた店でアイスコーヒー飲みたい
と、ニヤニヤしつつ橘寺を後に。
簡易地図によると、ここより少し先に飛鳥観光会館があるらしい。
そこなら良さげなごはん屋があるだろう。( ̄ω ̄)
このまま東へ進めば、橘寺→観光協会→岡寺という順路になってるもん♪
飛鳥川を越え、岡寺への看板を目印に歩く。

大きな道路に出たが、そこの看板には「岡寺・石舞台はこっち!」と飛鳥川に沿った方向を指している。
うん、信じて歩いてくんですが、なんか…どんどん南にきてない…?
なんだか雰囲気が怪しくなってきたので、切りのいい信号で曲がり、細い民家の生活道路を突っ切り東へ。
…こっちでいいのかな…と不安げに進んでいくと…

ででーんとこの鳥居が見えた。
…ちょっ、おい、看板!w (危うく石舞台まで歩くとこだった…
結局、観光協会は見つけることができず、開いてる飲食店は地域密着型のお寿司屋さんだけだった…。 (´・ω・`)
近くの自販機でアイスコーヒーのミニボトルを買い、道中飲み飲み、岡寺へ向かうことに。

ネット予習で坂の上とは仕入れていたが、…やっぱ結構な坂の上だった。
最初は勾配の緩やかな道が続き、どんどん急になってゆく。この感じは葛城山… (;´Д`)ハッ!
ーこれからの道順ー

こちらは岡寺の道行きにあった岡本寺。

ぐーぐる先生によると、飛鳥時代、舒明天皇の岡本宮ともいわれる旧蹟だったらしい。
ここを過ぎるとねぇ…キツいんですよ、勾配が。
帰りに逆側から撮ってみたんですが、わかりづらいか…。駆け下りると止まれなくなる感じ。

ふひぃ、ふへぇ…と虫の息で、やっと到着。
第七番札所 龍蓋寺(別名、岡寺

入山料300円→切符提示で2割引の240円に。
着いたはいいが、本堂へ行く為にはまだまだ登るよ…。


階段を登った先には立派な本堂が。
まずは「ご自由に」と書かれているので、鐘楼を鳴らす。ごーん(ーωー)
本堂に上がって、 またもや人が居ないので座ってしばし休憩。
ここは「義淵僧正」が建立した寺で、
オフィシャルHPによると、
>門下には東大寺の基を開いた良弁、菩薩と仰がれた行基、その他にもおよそ奈良時代の高僧といわれる人は皆、義淵僧正の教えを受けたといわれています。
…らしいです。
中にはデッカい仏像(如意輪観音座像)があって、異様な雰囲気です。
内部撮影禁止だったので、オフィシャルHPに行けばいろんな写真がみれるよ。
(塑像(土の仏像)では日本最大、日本三大仏のひとつで重要文化財だそうです
この本尊からは紐が外に繋がっていて、握ったらご本尊の功徳をゲット&縁を結べる(こら、言い方!)ということで、しっかり紐を握ってきました! 功徳ゲットだぜ!
そしてもっと圧巻だったのが、展示室に西国三十三所のミニチュア仏像を網羅していること!
ひとつ1m弱の金色仏像が33体並んでいるのは壮観!
ふへ〜〜と阿呆な感想を漏らしつつ、寺のぐるりを巡ることに。
…これがね、また階段なんですよ。

…登るっ…登るったら!



途中で瑠璃井という井戸があったので、そこで手顔を濡らして涼む。
最奥のお稲荷さんまで登ったら、今度は曲がって上部より本殿を眺めつつ、三重宝塔へ。
ここで何匹かイモリ(ヌメってたので多分こっち)に遭遇。
…ここ以外にもイモリに結構遭遇したんだけど、飛鳥のイモリって背が蛍光水色なんだな。
色のドギツさにウホッ!っとなったよw
三重宝塔(えっ、向き?


ここからの眺めが素晴らしかった! 眼下にそびえる飛鳥の町並み。
この塔の麓で少しだけ休憩。…蟻がデカイ。
いいもん見れました、ありがとうございました…ということで、下山。下りは楽でいいね。
さぁ、どうするべか…ということで、簡易地図を見て悩む。
この近辺は観光地が密集してるんだよな。う〜ん。
甘樫丘も考慮にいれて、道沿いに何かあったら寄り道しよう!と、とりあえず飛鳥寺を目指す。


飛鳥寺までの風景。まだまだ日差しは強くて…。田が青くて静かだなぁ〜。
途中、酒船石や万葉文化館の前を通ったケド、迷ったあげくパス。もうまっすぐ飛鳥寺へ行きます!
(遠いなぁ…)とだいぶ歩いた後、ようやく到着。
飛鳥寺


拝観料は300円。
蘇我氏の氏寺だそうです。
蘇我馬子発願・創建の日本最古の本格的寺院だそうですが、鎌倉時代に雷火災で本尊は大破(頭と手のみ残った)、建物は壊れ、以後、江戸時代まで再建されず、数百年間粗末な小屋のみで雨ざらしだったそうです。
もしキチンとした形で残っていれば余裕で国宝級、でも修復部分の割合が大きいから重要文化財どまり…で悔しい(UGG…)と寺のポスターに貼ってありました。
中では積極的に飲食系のオリジナル土産なんかも複数販売していて、商売上手だなと思いました。
最後にここでも(たぶん)鐘楼を突いて、寺の近くの入鹿の首塚へ。

こーんな感じの畑の中にあります。
入鹿の首塚


首塚を後にして、次目指すのは甘樫丘。
その道中で考えてました。
一番悲しいのは忘れられた神様だな、と。
どっかで読んだ本に、憎まれたり征服されたり飲み込まれたりするよりも、忘れ去られた神が一番悲惨だ、と書いてあったっけな。
歴史でもアンチがいるのは、まだいい方なんだろうな。
存在したことすらも消え失せて、なかったことにされるのが一番悲しい。
ー 飛鳥時代、蘇我の権力の象徴でもあったこの寺も、蘇我氏が滅亡して時が過ぎ、何百年間も壊れた大仏は
さぁ、ここからはラストスパート。
甘樫丘に向かいます。
ーこれからの道順ー

飛鳥川を越えると見えてくる、こんもりとした山。…これが甘樫丘です。
この付近の自動販売機で山登り用水分のお茶を調達。
うん、昼ご飯まだなんだ…
さぁ行くか!

最初からクライマックスでしたありがとうございました。
上の地図を見てもらえれば分かると思うんですけど、丘の途中で止まっている部分が、最高位置の甘樫丘展望台です。(標高148m
…つまりまた階段地獄。
蛍光ブルーのイモリもにょろにょろしているよ!
はい、着きましたよ。 (;´Д`)ゼーハー
甘樫丘展望台


広場には景色の説明盤もあるので、だいぶ親切です。(写真は西向き
この丘の中腹と麓に、蘇我蝦夷・入鹿親子の屋敷があり、大化改新によって入鹿が中大兄皇子に倒された直後、蝦夷はその邸に火をかけて自害したといわれている…そうです。byぐーぐる先生
あんまりゆっくりしていると、またもや巨大蟻に足をたかられるので、景色を楽しんだら下山。

甘樫丘を下りてすぐにあるレストハウスにてゆっくり休憩。
ここでやっと陽が陰ってくる…。
ここから一気に橿原神宮駅まで戻る!
上の地図の様に、長い道行き…。(途中で曲がる筋を1筋間違えて、余計遠回り
人っ子一人いない田んぼの脇を通って、陽が陰って歩きやすくなった道を行く。
…やっと駅前にでれた!
うどんを…温かいおうどんを食べさせておくれ…
駅前には、マクドナルドor王将orガストorなか卯orイズミヤの五択。…なか卯!

肉ッ気が食べたくなくて、一番シンプルなヤツにしたら290円だった。…安ッ!Σ(´д` )
ただいま15時です。
涼しいチェーン店で少し回復したし、帰るにはまだ早いか…ということで、前回の近鉄線の旅で行けなかった橿原神宮に行くことに。
ーこれからの道順ー

駅から神宮が近いといえども、今の状態では長く感じる…。
はい、到着。
橿原神宮


鳥居がカッコいい!
でかい鳥居って…いいよね!
大きな神社系って、空間のとり方が贅沢だよね。…それがグッとくる。



本殿に参拝しようとすると…
がーん!! 工事中…だと…!
どっかでこのパターン見覚えが…(by熱田神宮
…さぁ、帰るか。
この橿原神宮の北側に神武天皇陵があるそうなので、北の出口から出て行こうとすると、
通路に「畝傍山登山口はこちら」の看板が…。(だいたい日本の神様って山がご神体だったりするよね… ←心の声
…いっいやだなぁ〜、行きませんよあはは…。
見ないフリでスルーしました。(標高199.2m
そして旅のゴール、畝傍御陵前駅(うねびごりょうまええき)に到着。

おつかれさまでした!
追記>
料金比較データ:
◎飛鳥巡り切符→1380円
◎なんば〜飛鳥駅→690円、畝傍御陵前〜なんば駅→610円、施設割引→110円
合計:1410円
結果:現金でも充分だけど、桜井もついでに回るならお得かも。
時間はただいま、お昼12時過ぎ。
ごはんの時間だよ…(クーラーの効いた店でアイスコーヒー飲みたい
と、ニヤニヤしつつ橘寺を後に。
簡易地図によると、ここより少し先に飛鳥観光会館があるらしい。
そこなら良さげなごはん屋があるだろう。( ̄ω ̄)
このまま東へ進めば、橘寺→観光協会→岡寺という順路になってるもん♪
飛鳥川を越え、岡寺への看板を目印に歩く。
大きな道路に出たが、そこの看板には「岡寺・石舞台はこっち!」と飛鳥川に沿った方向を指している。
うん、信じて歩いてくんですが、なんか…どんどん南にきてない…?
なんだか雰囲気が怪しくなってきたので、切りのいい信号で曲がり、細い民家の生活道路を突っ切り東へ。
…こっちでいいのかな…と不安げに進んでいくと…
ででーんとこの鳥居が見えた。
…ちょっ、おい、看板!w (危うく石舞台まで歩くとこだった…
結局、観光協会は見つけることができず、開いてる飲食店は地域密着型のお寿司屋さんだけだった…。 (´・ω・`)
近くの自販機でアイスコーヒーのミニボトルを買い、道中飲み飲み、岡寺へ向かうことに。
ネット予習で坂の上とは仕入れていたが、…やっぱ結構な坂の上だった。
最初は勾配の緩やかな道が続き、どんどん急になってゆく。この感じは葛城山… (;´Д`)ハッ!
ーこれからの道順ー
こちらは岡寺の道行きにあった岡本寺。
ぐーぐる先生によると、飛鳥時代、舒明天皇の岡本宮ともいわれる旧蹟だったらしい。
ここを過ぎるとねぇ…キツいんですよ、勾配が。
帰りに逆側から撮ってみたんですが、わかりづらいか…。駆け下りると止まれなくなる感じ。
ふひぃ、ふへぇ…と虫の息で、やっと到着。
第七番札所 龍蓋寺(別名、岡寺
入山料300円→切符提示で2割引の240円に。
着いたはいいが、本堂へ行く為にはまだまだ登るよ…。
階段を登った先には立派な本堂が。
まずは「ご自由に」と書かれているので、鐘楼を鳴らす。ごーん(ーωー)
本堂に上がって、 またもや人が居ないので座ってしばし休憩。
ここは「義淵僧正」が建立した寺で、
オフィシャルHPによると、
>門下には東大寺の基を開いた良弁、菩薩と仰がれた行基、その他にもおよそ奈良時代の高僧といわれる人は皆、義淵僧正の教えを受けたといわれています。
…らしいです。
中にはデッカい仏像(如意輪観音座像)があって、異様な雰囲気です。
内部撮影禁止だったので、オフィシャルHPに行けばいろんな写真がみれるよ。
(塑像(土の仏像)では日本最大、日本三大仏のひとつで重要文化財だそうです
この本尊からは紐が外に繋がっていて、握ったらご本尊の功徳をゲット&縁を結べる(こら、言い方!)ということで、しっかり紐を握ってきました! 功徳ゲットだぜ!
そしてもっと圧巻だったのが、展示室に西国三十三所のミニチュア仏像を網羅していること!
ひとつ1m弱の金色仏像が33体並んでいるのは壮観!
ふへ〜〜と阿呆な感想を漏らしつつ、寺のぐるりを巡ることに。
…これがね、また階段なんですよ。
…登るっ…登るったら!
途中で瑠璃井という井戸があったので、そこで手顔を濡らして涼む。
最奥のお稲荷さんまで登ったら、今度は曲がって上部より本殿を眺めつつ、三重宝塔へ。
ここで何匹かイモリ(ヌメってたので多分こっち)に遭遇。
…ここ以外にもイモリに結構遭遇したんだけど、飛鳥のイモリって背が蛍光水色なんだな。
色のドギツさにウホッ!っとなったよw
三重宝塔(えっ、向き?
ここからの眺めが素晴らしかった! 眼下にそびえる飛鳥の町並み。
この塔の麓で少しだけ休憩。…蟻がデカイ。
いいもん見れました、ありがとうございました…ということで、下山。下りは楽でいいね。
さぁ、どうするべか…ということで、簡易地図を見て悩む。
この近辺は観光地が密集してるんだよな。う〜ん。
甘樫丘も考慮にいれて、道沿いに何かあったら寄り道しよう!と、とりあえず飛鳥寺を目指す。
飛鳥寺までの風景。まだまだ日差しは強くて…。田が青くて静かだなぁ〜。
途中、酒船石や万葉文化館の前を通ったケド、迷ったあげくパス。もうまっすぐ飛鳥寺へ行きます!
(遠いなぁ…)とだいぶ歩いた後、ようやく到着。
飛鳥寺
拝観料は300円。
蘇我氏の氏寺だそうです。
蘇我馬子発願・創建の日本最古の本格的寺院だそうですが、鎌倉時代に雷火災で本尊は大破(頭と手のみ残った)、建物は壊れ、以後、江戸時代まで再建されず、数百年間粗末な小屋のみで雨ざらしだったそうです。
もしキチンとした形で残っていれば余裕で国宝級、でも修復部分の割合が大きいから重要文化財どまり…で悔しい(UGG…)と寺のポスターに貼ってありました。
中では積極的に飲食系のオリジナル土産なんかも複数販売していて、商売上手だなと思いました。
最後にここでも(たぶん)鐘楼を突いて、寺の近くの入鹿の首塚へ。
こーんな感じの畑の中にあります。
入鹿の首塚
首塚を後にして、次目指すのは甘樫丘。
その道中で考えてました。
一番悲しいのは忘れられた神様だな、と。
どっかで読んだ本に、憎まれたり征服されたり飲み込まれたりするよりも、忘れ去られた神が一番悲惨だ、と書いてあったっけな。
歴史でもアンチがいるのは、まだいい方なんだろうな。
存在したことすらも消え失せて、なかったことにされるのが一番悲しい。
ー 飛鳥時代、蘇我の権力の象徴でもあったこの寺も、蘇我氏が滅亡して時が過ぎ、何百年間も壊れた大仏は
粗末な小屋で雨埃に晒された ー
つぎはぎだらけの大仏を見た時、言葉にできない虚しさを感じました。うん。(´・ω・`)さぁ、ここからはラストスパート。
甘樫丘に向かいます。
ーこれからの道順ー
飛鳥川を越えると見えてくる、こんもりとした山。…これが甘樫丘です。
この付近の自動販売機で山登り用水分のお茶を調達。
うん、昼ご飯まだなんだ…
さぁ行くか!
最初からクライマックスでしたありがとうございました。
上の地図を見てもらえれば分かると思うんですけど、丘の途中で止まっている部分が、最高位置の甘樫丘展望台です。(標高148m
…つまりまた階段地獄。
蛍光ブルーのイモリもにょろにょろしているよ!
はい、着きましたよ。 (;´Д`)ゼーハー
甘樫丘展望台
広場には景色の説明盤もあるので、だいぶ親切です。(写真は西向き
この丘の中腹と麓に、蘇我蝦夷・入鹿親子の屋敷があり、大化改新によって入鹿が中大兄皇子に倒された直後、蝦夷はその邸に火をかけて自害したといわれている…そうです。byぐーぐる先生
あんまりゆっくりしていると、またもや巨大蟻に足をたかられるので、景色を楽しんだら下山。
甘樫丘を下りてすぐにあるレストハウスにてゆっくり休憩。
ここでやっと陽が陰ってくる…。
ここから一気に橿原神宮駅まで戻る!
上の地図の様に、長い道行き…。(途中で曲がる筋を1筋間違えて、余計遠回り
人っ子一人いない田んぼの脇を通って、陽が陰って歩きやすくなった道を行く。
…やっと駅前にでれた!
うどんを…温かいおうどんを食べさせておくれ…
駅前には、マクドナルドor王将orガストorなか卯orイズミヤの五択。…なか卯!
肉ッ気が食べたくなくて、一番シンプルなヤツにしたら290円だった。…安ッ!Σ(´д` )
ただいま15時です。
涼しいチェーン店で少し回復したし、帰るにはまだ早いか…ということで、前回の近鉄線の旅で行けなかった橿原神宮に行くことに。
ーこれからの道順ー
駅から神宮が近いといえども、今の状態では長く感じる…。
はい、到着。
橿原神宮
鳥居がカッコいい!
でかい鳥居って…いいよね!
大きな神社系って、空間のとり方が贅沢だよね。…それがグッとくる。
本殿に参拝しようとすると…
がーん!! 工事中…だと…!
どっかでこのパターン見覚えが…(by熱田神宮
…さぁ、帰るか。
この橿原神宮の北側に神武天皇陵があるそうなので、北の出口から出て行こうとすると、
通路に「畝傍山登山口はこちら」の看板が…。(だいたい日本の神様って山がご神体だったりするよね… ←心の声
…いっいやだなぁ〜、行きませんよあはは…。
見ないフリでスルーしました。(標高199.2m
そして旅のゴール、畝傍御陵前駅(うねびごりょうまええき)に到着。
おつかれさまでした!
追記>
料金比較データ:
◎飛鳥巡り切符→1380円
◎なんば〜飛鳥駅→690円、畝傍御陵前〜なんば駅→610円、施設割引→110円
合計:1410円
結果:現金でも充分だけど、桜井もついでに回るならお得かも。
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