旅行:2008.12.15 真田幸村ゆかりの地巡り(大阪)
大阪生まれの、大阪育ち、真田幸村大好きッ子のわたくしが、
今回「幸村ゆかりの地+α」を自転車にて巡っていこうという…企画デス。
大阪生まれの、大阪育ち、真田幸村大好きッ子のわたくしが、
今回「幸村ゆかりの地+α」を自転車にて巡っていこうという…企画デス。
うん、実行したのが、佐和山登山した次の日なんだけどね。
<ご注意>
幸村ゆかりの史跡の多い天王寺周辺(通天閣、新今宮含む)は、大阪市内でも群を抜いて治安のあまりよろしくない地域れす。
日中でも、女子は萌え萌えたい気持ちをグッと抑えて、人通りの多い道を選び、路地は回避がベター。
気をつけ用心で歩くのがベスト! 夜間は、正直、女子の出歩きはオススメしません!
そして着きましたよ、安居神社。(結構ひっそりしていて景色と同化してる?ので、見逃しやすいカモ


こっちは裏口の階段と鳥居

こちらは幸村が、
[夏の陣で、真田隊が決死の攻勢の最後、この境内の松の麓で休息中(一説には味方を介抱している時に)相手方に打ち取られ、戦死した場所]
という伝承が残っており、その石碑と真田松が残っております。(現在の松は二代目なのだとか


境内の様子。
祭神は天満宮なので「菅原道真」公で、
菅原公が太宰府の左遷時に、 風待ちのために休息をとったという伝承も、あるとかないとか…。


そして、ここより南へすぐのところに、茶臼山がアリマス。(六文銭の旗がたなびいてマス
写真は公園の周りをぐるりと回ってみたんだ。うん。



茶臼山が天王寺公園内にあるので、要入園料。
(ちなみに当日は休園日だった為に入れず、外から看板のみ写しマシタ
ここも安居神社よりすぐの、ご近所、四天王寺。
聖徳太子が建立した、日本仏法最初の官寺…だそうです。
司馬遼太郎の「軍師二人」では、
後藤又兵衛が小松山を、幸村はここ四天王寺周辺を、最終決戦場に主張しておりやす。

内部より撮影(中へは自転車の乗り入れ可、ペットの散歩もOKみたい
石畳に自転車は、相性悪すぎ。
一カ所、すごいオススメしない場所あり(雰囲気的に…




はい。天王寺周辺はこれぐらいで。
つぎは、[冬の陣のときに真田丸があった]といわれる真田山公園及び一帯へ。
四天王寺より、自転車にてずーっと北上していきます。…結構遠いなぁ。


ここも余り目立った看板を見ませんでした。探さないと見つからないレベル??


心眼寺は真田丸跡に、真田幸村と大助を弔うために建てられた寺…だそうです。
いいかげん疲れて来た足を引きずり、
ここよりまた北上、一気に大阪城を目指します。
その途中には・・・
越中・細川忠興の屋敷があったとされる、細川エリアが!



写真奥が越中井、右が像のある教会、右奥が越中公園…となっております。


越中屋敷の井戸跡らしい。
関ヶ原の時、ここで忠興たんの超超超愛妻・ガラシアたんが… (´;ω;`)
越中井を超えれば、もう、もう、すぐです、大阪城。

↓城南射撃場跡 …お腹が空きましたので、この辺で兵糧を補給しますよ…っと。


大阪城は外堀のラインが綺麗だなー(*´Д`)

正門である「桜門」から、いざ登城!


自転車で通ると気持ちいいんだな、これが。
外堀から城まで結構距離があるので、当時はオフィス(大阪城)から帰宅するのに、ダルかったんだろなーとか考えてみたり。
んで、着きましたよ。大阪城。
ずっとこの城が私の城の基本イメージだったんで、
綺麗んだな…とか、
大きいんだな…とか、
他所の城を知るにしたがって、改めて素晴らしさを認識したり。



近くの博物館もついでに写しました。

昨日は、佐和山でこの夕日を見てたんだよね…、うん。

城の近くに、何か見慣れぬブツがある??と思ったら、
2008年11月に立てられた「大阪城・上田城の友好記念碑」だとか。
ま た 幸 村 か ! 真田の暴れっぷり、はんぱねぇ!(商売的な意味で
所要時間は3時間程でした。まる。
司馬遼太郎の城塞を読んだ人なら、市内を闊歩するダケで ニヨニヨ (・∀・) できるかも。
ままの地名が残ってるからne!
あと、この他にも大阪の街は史跡や寺社が多いデス。
聖徳太子やら、安倍晴明やら、聖人関連やら、関ヶ原組・大坂の陣組、果ては幕末・新撰組まで…。
これは、れきしの、おこのみやきやー! ←最後に台無し
<ご注意>
幸村ゆかりの史跡の多い天王寺周辺(通天閣、新今宮含む)は、大阪市内でも群を抜いて治安のあまりよろしくない地域れす。
日中でも、女子は萌え萌えたい気持ちをグッと抑えて、人通りの多い道を選び、路地は回避がベター。
気をつけ用心で歩くのがベスト! 夜間は、正直、女子の出歩きはオススメしません!
そして着きましたよ、安居神社。(結構ひっそりしていて景色と同化してる?ので、見逃しやすいカモ
こっちは裏口の階段と鳥居
こちらは幸村が、
[夏の陣で、真田隊が決死の攻勢の最後、この境内の松の麓で休息中(一説には味方を介抱している時に)相手方に打ち取られ、戦死した場所]
という伝承が残っており、その石碑と真田松が残っております。(現在の松は二代目なのだとか
境内の様子。
祭神は天満宮なので「菅原道真」公で、
菅原公が太宰府の左遷時に、 風待ちのために休息をとったという伝承も、あるとかないとか…。
そして、ここより南へすぐのところに、茶臼山がアリマス。(六文銭の旗がたなびいてマス
写真は公園の周りをぐるりと回ってみたんだ。うん。
茶臼山が天王寺公園内にあるので、要入園料。
(ちなみに当日は休園日だった為に入れず、外から看板のみ写しマシタ
ここも安居神社よりすぐの、ご近所、四天王寺。
聖徳太子が建立した、日本仏法最初の官寺…だそうです。
司馬遼太郎の「軍師二人」では、
後藤又兵衛が小松山を、幸村はここ四天王寺周辺を、最終決戦場に主張しておりやす。
内部より撮影(中へは自転車の乗り入れ可、ペットの散歩もOKみたい
石畳に自転車は、相性悪すぎ。
一カ所、すごいオススメしない場所あり(雰囲気的に…
はい。天王寺周辺はこれぐらいで。
つぎは、[冬の陣のときに真田丸があった]といわれる真田山公園及び一帯へ。
四天王寺より、自転車にてずーっと北上していきます。…結構遠いなぁ。
ここも余り目立った看板を見ませんでした。探さないと見つからないレベル??
心眼寺は真田丸跡に、真田幸村と大助を弔うために建てられた寺…だそうです。
いいかげん疲れて来た足を引きずり、
ここよりまた北上、一気に大阪城を目指します。
その途中には・・・
越中・細川忠興の屋敷があったとされる、細川エリアが!
写真奥が越中井、右が像のある教会、右奥が越中公園…となっております。
越中屋敷の井戸跡らしい。
関ヶ原の時、ここで忠興たんの超超超愛妻・ガラシアたんが… (´;ω;`)
越中井を超えれば、もう、もう、すぐです、大阪城。
↓城南射撃場跡 …お腹が空きましたので、この辺で兵糧を補給しますよ…っと。
大阪城は外堀のラインが綺麗だなー(*´Д`)
正門である「桜門」から、いざ登城!
自転車で通ると気持ちいいんだな、これが。
外堀から城まで結構距離があるので、当時はオフィス(大阪城)から帰宅するのに、ダルかったんだろなーとか考えてみたり。
んで、着きましたよ。大阪城。
ずっとこの城が私の城の基本イメージだったんで、
綺麗んだな…とか、
大きいんだな…とか、
他所の城を知るにしたがって、改めて素晴らしさを認識したり。
近くの博物館もついでに写しました。
昨日は、佐和山でこの夕日を見てたんだよね…、うん。
城の近くに、何か見慣れぬブツがある??と思ったら、
2008年11月に立てられた「大阪城・上田城の友好記念碑」だとか。
ま た 幸 村 か ! 真田の暴れっぷり、はんぱねぇ!(商売的な意味で
所要時間は3時間程でした。まる。
司馬遼太郎の城塞を読んだ人なら、市内を闊歩するダケで ニヨニヨ (・∀・) できるかも。
ままの地名が残ってるからne!
あと、この他にも大阪の街は史跡や寺社が多いデス。
聖徳太子やら、安倍晴明やら、聖人関連やら、関ヶ原組・大坂の陣組、果ては幕末・新撰組まで…。
これは、れきしの、おこのみやきやー! ←最後に台無し
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